「「嘉義丸のうた」と「十九の春」」
もう去年の記事なのだが、小川学夫が与論小唄を含めた、「十九の春」のルーツについて書いているのが印象的だった。この記事は、「嘉義丸のうた」を「十九の春」のルーツと言いたげな最近の風聞に端を発し、それに遠慮がちながら自説で応えているものだ。
小川によれば、
ともかく、わたしの結論は、「嘉義丸のうた」と「十九の春」は、きょうだいではあるが、親子ではない、ということである。(2009年5月5日)
小川は、九州の「炭坑節」を引きながら、その音数律の比較などを通じて、「与論ラッパ節」と「与論小唄」、そして「嘉義丸のうた」も、その流れを汲むものだと考えている。前者は、従来、重視していなかったが、「十九の春」とのつながりを否定できなくなったものとして、後者は、原曲と昨今言われているが、「兄弟ではあっても親子ではない」と退けることによって。この結論は妥当なものに聞こえる。
小川は懸念点も挙げている。
もう一点、ラッパ節に特有の「トコトット」というハヤシコトバがなくなっていることである。
鹿児島本土でも付いて歌われていた所と、そうでない所があり、消えた所はどうしてなのかという問題がある。与論の二つの歌、「十五(ママ-引用者)の春」も消えた組だ。また、与論の人たちが覚えたという「炭鉱節」にもこのハヤシコトバはなく、またはっきりと「ラッパ節」といわれた形跡も定かではない。
しかし、「ラッパ節」と繋がりがあることだけは分かってきた。
ぼくも「奄美と沖縄をつなぐ」イベントで、ソウルフラワーユニオンのメンバーによる「ラッパ節」を聞いて、その「トコトット」というはやし言葉がとても印象に残ったが、ここに相違点の核があるわけだ。
(中略)従って、ここに最初に作られた「ラッパ節」とその後に流行った「ラッパ節もどき」(小川命名)が存在して、前者系統の歌にはハヤシコトバが付いており、後者には付いていない。かつ、人々は「もどき」の方も「ラッパ節」といったのではないかという仮説を提示しておきたいのである。「与論ラッパ節」も、「嘉義丸のうた」のもとになった歌も、後者と考えられるのである。(2009年5月6日)
小川によれば、「与論ラッパ節」も、「嘉義丸のうた」のもとになった歌は、「ラッパ節もどき」と位置づけられる。説得力を感じる。小川は周囲への配慮をしながら書いているが、研究なのだから、もっと遠慮なくやったらいいと思う。
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