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2010/01/01

フバマにて

 活字にしようとした途端に言葉は溶解していくから、逆らうのは無駄な抵抗というものだけれど、幼いころに親しんだ浜辺に来ている。

 ぱーぱー(祖母)の家は近代的?に改築され、守護神だったガジュマルも枯れ、無残な残骸のよな姿をさ晒しているけれど、縁側に腰掛けてみると、ゴーという潮の音が聞こえ、ジャングルのような樹木たちは半面を覆い、鳥のさえずりを聞かせてくれる。少なくとも、その面だけでも、かつての雰囲気はまだそのままに残っていて、すんなり少年期に帰っていけるようだ。

 庭に残ったくにぶ(みかん)の見を採って頬張ると、すっぱさが懐かしく、何も変わっていないような気分になれる。家を囲む石垣は、いつのものだろう。この地に住居を構えようとした先祖の労力を偲ばせるのだが、そのことに初めて想いを馳せた気がした。ぼくはここで、この場と祖母の振る舞いから、人間が動植物や珊瑚岩などの無機物とも言葉を交わせることをおぼろげに学んだし、自分はできないにしても、その気配を感じることができた。それが、ぼくの感じる南島であり琉球である。それに比べれば、1609年のことも古琉球のことも、ずいぶん新しい、最近の出来事なのだ。.

 この気配を感じられる限り、与論は与論であり続けるだろう。

 隣のうば(おばさん)は、いつも座っていた機織りにはもうおらず、部屋の奥に座ってらした。いつものように声をかけて迎えてくれ、みかんとキャンディとドリンクをくれた。こうして会って話しができることが、どれだけかけがえがないか、そのことにどうしていままで気づくことができなかったのだろうと思う。とにかく元気でいてほしい。

 潮の香りはすごい。あっという間に、少年期の自分に戻してくれる。時間なんて、ないのだ。
 


Kc380201

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コメント

こんにちはお久しぶりです。
今日は、珍しく鹿児島は大雪で仕事も休みでした。
なかなか触らないパソコンと、悪戦苦闘の一日でした。
与論に行かれたのですよね。そういえば、S子うばんかが、「荘一君がいい話をしていたよ」
と言ってました。与論を愛する気持ちが溢れていたそうです。(・・・どんな話かは聞きそびれてました。)
 さて、うわーでぃらのガジュマルの木のことですが、確かに寿命だったとは思いますが、あれは切ったのではありませんよ。根っこから枯れて、倒れてきたのです。倒れた時に、兄がひどく悲しんで写メールを送ってきてくれました。
私たちも、本当に淋しく思いました。
 ただ、ガジュマルという守り神様は、ずっとパアーパアを見守っていて、共に旅立ったのだと思います。
どうぞ、荘一君もそのそのことで心をいためないでくださいね。
 時が変われば、風景も変わりますが、与論を愛する気持ちは同じです。 

投稿: 幸子 | 2010/01/13 19:04

幸子姉さん

それを聞けてよかったです、ほっとします。枯れたこと、書き直しました。でもあそこの空気は変わらずよかったです。

初めて、ゆんぬんちゅに向かって与論が話ができて、嬉しかったですよ。

投稿: 喜山 | 2010/01/13 21:49

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