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2010/01/09

「近代日本の地方統治と『島嶼』」3

 元老院でも島嶼だけでなく内地も例外とする議論は起きている。尾崎三良は、明治二一(一八八八)年一月の審議で、「島嶼」以外にも町村制の施行外地城を認める要発言している。「一府県中未開蒙昧ノ土地多ク有ルニモ拘ラス」知事の一存で「県下一律」い町村制を施行するなら、それは知事の裁量にのみ委ねた制度で、「本案ノ精神ヲ貫徹セシムルニ差支」あるとしている。

 ある真っ当さを持った主張なのだが、その根拠はやはり興味深い。

「京都近傍ハ自治ヲ行ハシム可キ所多キモ丹波辺ノ山奥二至リテハ到底行フヲ得ス又宮崎県下ノ如キモ宮崎高鍋美々津ノ辺にはハ固ヨリ行ハル可キモ高千穂、椎葉ナトノ如ク人類ト猿トヲ区別スルコト難キ程ノ地方ニハ連モ行ハル可シトモ思ハレス」(「近代日本の地方統治と『島嶼』」

 内地の僻地に該当するところを指して、「人類ト猿トヲ区別スルコト難キ」とまで言っているのである。「島嶼」だけを例外とすることに疑問を呈するといっても、そこには、進んだ地域と遅れた地域という序列意識があったのである。近代当初の政治家の認識がこうであたとすれば、奄美がどう見られたかも、推して知るべしである。

 近代民族国家は、土佐人、薩摩人の上位概念に日本人という同一性を形成するが、それは一方で、日本人としては「同じ」であるという観念を含む。それに対する激しい反発が一方で差別として表出され、それは、進み/遅れの序列化として構造化されたということではないだろうか。

 高江洲は、

このように、地方制度における「島嶼」という枠組みとは、「人情風俗」の違いを前提とし、施行/未施行という法制区分の恣意性を隠匿するために設定されたものといえる。

 と整理している。島嶼は、「遅れた地域」の象徴として固定化されたのである。それは一方的な烙印だった。

 「島嶼」は、町村制の未施行を通して「遅れた」地域という評価を受け取るのか、それとも、自治行政を遂行するために財政的な負担荷重の道を歩みかねないが町村制を施行するという選択肢の前に置かれることになった。だが、その選択についても、前述の通り「島嶼」側に与えられているわけではなかったのである。

 それにしても、「人類と猿」、ですか(苦笑)。



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