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2010/01/11

ほっとけトーク「島津藩による奄美・琉球侵攻400年」を観た

 奄美テレビの山元さんに、ほっとけトーク「島津藩による奄美・琉球侵攻400年」のDVDを送ってもらっていたのを初めて観た。インタビューで取材を受けたもので、自分も出ているだろうから観るのが億劫だった。休日でなければそういう気もなかなか起きないだろうと、やっとセットしてみたのだ。

 出演者は、花井恒三、薗博明、森本眞一郎のおさん方。
 発言を聞きながら、首をかしげざるを得ないのは花井さんの発言だった。
 400年という節目がさまざまな出会いを生んだ。そのなかには調所笑左衛門の末裔である調所一郎の奄美への来島のことや、奄美大島での「沖縄・鹿児島連携交流事業」もあった。

 いつも自分はそういうのだが、と強調したのは、「奄美はクッション役。奄美を舞台にすると、鹿児島県と沖縄県の両方ともうまくいく」ということだった。奄美はクッション役、奄美は交流拠点というのは、奄美をポジティブに捉えようとするとき出てくる視点で、ぼくもそう書くけれど、奄美がもともとそういう二重肯定的な関係のなかに置かれたのであれば、少なくともアイデンティティの課題が深刻になるはずもない。二重否定的な関係に置かれたからこそ、身を隠すようなことや家族にすら自分のことを語らないという個人史が生まれて来たわけである。そのこと触れなかったら、クッション役も交流拠点も、何も言ったことにはならない空文句になるばかりか、すべて無かったことにしましょうという交流宣言と同じ空疎さに陥るしかないものだ。

 調所一郎の来島など、私的な意味しか持ちえないのに、それを歴史的に意味があるもののように解するのもどうかしていると思う。それだから、当の本人たちも勘違いして自分たちが何者かであるような為政者気分の抜けない発言になってしまうのだ。(「調所家と田畑家 その功罪と展望」

 当然、花井さんの視点からは、「沖縄・鹿児島連携交流事業」を「とてもよかった」と評価することになる。どうしてこんな視点になるのだろう。これは、行政と市民とを一緒くたに見てしまっているのではないだろうか。彼は、「せっかく両県の知事がいらっしゃるのに歴史のシンポジウムが無かった。芸能も奄美、沖縄、鹿児島のものをそれぞれやるだけでばらばらに終わった」などとも言うが、そういう構成自体がことの本質を物語っているではないか。歴史のシンポジウムはしなかったでのない、やれなかったのである。芸能はばらばらで工夫がなかったのではない、ばらばらにしかできなかっただけである。この点、発言はとぼけたものに見えた。

 しかし、誤解もあった。山川の事業の際の新聞記事で、「出兵・侵攻」という連語について、花井さんは「複雑な思いをしながら、これは沖縄と鹿児島、奄美の歴史観の違いを乗り越えで共生、共存していくことだとくみ取った」(「薩摩の琉球侵攻400年 指宿市山川で記念事業」)とあって、ぼくは能天気なものだと感じたが、ほっとけトークでは、「鹿児島は『出兵』という言葉を捨て切らないのだな」と、つまり「侵攻」の言葉だけで語ることができないのだなと感想を漏らしていて、鹿児島を対象化しているのに気づいた。また、宝暦治水の平田靱負について、鹿児島の大学生が南日本新聞に、偉業に学ばなければならないと投稿した記事に触れて、「ここに奄美のことが触れられるようにならなければならない」という視点を持ち込んでいた。

 森本さんからは、奄美のふつうの人にとっても意味を考えるイベントがなかったこと、薗さんからは、400年の問題は過去のことではなく現在のことであるという指摘があった。同感だ。

 三上絢子さんには一連のイベントの流れがブームのように見えたらしく、歴史の副読本とか受け皿がないのにやるのは時期尚早ではないかという発言があった。これは、「沖縄・鹿児島連携交流事業」に対してならその通りだが、その他のイベントについてなら、400年の時に行わなかったら、奄美はさらなる失語に追い込まれるだろうし、薗さんが言うように、声を挙げなければ、奄美は闇に葬られると、ぼくも思う。ただ、三上さんも「今後、400年については、ブームみたいに、お手打ちでこれで一件落着というわけにはいかない」と言い、その通りだと感じる。

 花井さんは後段、「沖縄・鹿児島連携交流事業」の共同宣言文は宮崎緑が読み上げただけで配布されなかった。なぜ配布しないのかと思った。鹿児島の歴史副読本には、奄美の黒糖は薩摩の財政を奄美の黒糖だけで解決という記述しかない。犬田布騒動は「騒動」という言葉でくくられ、「抵抗」という解釈をされてしまっている。沖縄の副読本には苦難に触れている、という指摘も。さらに、副読本は行政がつくるだけではなく、他にもなければならないとも。これはぼくもそう思うもので、行政がつくるものは限界があるから、それぞれの島語りが多様に出なければならないはずだ。

 蛇足だが、ぼくはテレビ放送の前日の夜に日比谷のビルでインタビューを受けた。最初、3分枠で話したが、どうも奄美テレビの方は物足りないらしく追加でいろいろと聞かれた。その質問を受けているうちに、どうやらぼくは趣旨を理解していないらしいことが分かった。「沖縄・鹿児島連携交流事業」のことを重点に質問されたからだ。そのことを聞きたいのか、とそれについて答えたのだが、そちらだけが採用されていた。不満があるわけではなく、最初からそこに焦点を当てればよかったのだなと合点した次第だ。

 400年について奄美で語られるのは意義がある。というか、奄美が語らなければ誰が語ってくれるわけでもない。花井さんが、400年のテーマについて、大学の先生は多く訪れたが、これで論文を書こうという学生は一人も出会えなかったと語ったこと、「奄美大島でこうしたイベントが仕掛けられなかったこと」を反省点として挙げていたことが印象に残った。


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