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2010/01/17

「近代日本の地方統治と『島嶼』」7

 大支庁を廃止して郡役所を設置することになったが、別の問題もあった。何か。名称が無かった、というのである。大島県、大島大支庁と騒いでおきながら、郡にするに当たって名が無かった。吾輩は島嶼である。名前はまだない(苦笑)。

 しかし、これら島々は郡役所を設置する段階以前の問題もあった。つまり、これらの島々には所属の郡の名称がなかったのである。そのため、明治二年九月に鹿児島県令岩村通俊は「大島外四島国郡名称御足メ相成度儀二付上申」を内務卿伊藤博文に提出したのである。この上申書によると「都区町村編制法御布告相成候二付テハ管下大島喜界島徳之島与論島沖永良部島之五島モ内地同様実施仕度候処各島々之儀ハ従来国都ノ名称無之処二依り施行方差支候間至急何分之儀御足メ相成候」という内容のものであり、鹿児島県からは所属の国や郡の名称についての案はなかった。

 「鹿児島県からは所属の国や郡の名称についての案はなかった」というのはいかにも、である。砂糖には興味あるけど名前には興味ない(苦笑)。

内務省では一二月までにこれら島々を大隅国への所属を決めたが、郡名については確定に至らなかった。翌年の一月に法制局に提出した伺書への追加という形で部名を確定することになったが、それは「従来ノ島名」を踏襲し、各島を郡にするという案であった。ところが、この宴は法制局おいて「大島外四島ヲ以テ大隅国二属セラルヽハ内務省上申ノ通ニテ然ルヘシ但シ内務省ハ各島ヲ以テ各部ト為サントスル追申二候へ共与論島……ノ如キハ村数僅二六ツ以テ新郡ト為スニ足ラズ日本地誌提要ヲ按スルニ壱界島等四島鹿児島県二隷シ治所ヲ大島名瀬二置キ以テ諸島ノ事ヲ管ス云々此ノ例二拠り大島外四島ヲ以テ合セテ一郡ト為ス」という審査がなされ、内務省案は否決された。結局、大島外四島の郡名は、元老院会議の議論を経て大島郡に決まったのであるe以上の議論を経て、明治十二年四月の太政官布告第一毒で、大島外四島は大島郡という名称で大隅国に所属することが布告された。(「近代日本の地方統治と『島嶼』」

 「大島郡」と決めたのは元老院だった。それぞれの島を郡とする内務省案もあったというから驚く。あんな小さな島を「郡」とみなそうとしたのはそれだけ砂糖の存在感が大きかったということだろうか。しかし、同じく与論などは村が六つしかないから(六つもあったのか!)却下されて、「大島郡」に落ち着く。

 こうした経緯はさまざまな想像をめぐらさせる。

 県のほうからも案は無かったということは、1609年前の薩摩の「大島出兵」計画にいう「大島」とはやはり奄美大島のことを指したのかもしれない。ただ、「大島」は加計呂麻島、与路島、請島を内包しているから、「大島出兵」の「大島」が、「外四島」あるいは徳之島辺りまでを含んでいた可能性も捨てきれないのではあるが。

 また、これらの経緯でも奄美のことを「大島外四島」という言い方で奄美大島の他四島を意味しているのであって、「奄美大島」とは表現されない。いったいいつ、「奄美大島」という名称は出て来たのだろうか。

 復帰のときですら、「奄美」というよりは「大島」として奄美諸島を指す言い方が目立った。それは、ここで「大島外四島」が「大島郡」となったことにより、大島=奄美大島としての大島から、大島=大島&「大島外四島」という通称もできてしまったということだろう。

 このときどこからか、「奄美郡」という提案がありそれが採用されるようなことがあれば、もう少し「奄美」という呼称が、諸島としての奄美に定着することにもなっただろう。現在、奄美といえば、諸島としての奄美を指すこともあるが、やはり大島としての奄美を含意することのほうが多く、「奄美」は南下する力を持っていない。

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