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2010/01/18

「近代日本の地方統治と『島嶼』」8

 明治11年、三新法の施行により奄美が大島郡となって以降、どうなったか。

 「地方税経済上内地ヨリ補充ノ金額不少ヨリ県会二於テ時々経済分離ノ儀」も提出されているが、経済分離が実施されると、「島嶼ノ人民」が「惨状」に陥るおそれもあるため、その回避策として「節減ヲ加へ」ることで、同一県予算で行う現状に対する「維持ノ途」が提案された。この経費節減案は、県会の方でも「徳義上不得止」ものとして、「同一ノ経済」を継続することにしたのである。ただし、前述のように地方税補助の節減を行っている以上、数年を経たら、「施政ノ運用其宜シキヲ欠キ」、「人民産業日々衰頽シ民力歳々凋零シ土地荒廃二属シ遂二救フ可ラサルノ悲況ニ陥」ることになると警告している。このような事態を回避し、「島嶼人民ヲ安堵」し、産業を振興させるためにも、島長を設置して欲しいと訴えている。(「近代日本の地方統治と『島嶼』」

 内地から補充している金額が不足して、県会では時々「経済分離の儀」も提出されているが、分離が実際されると、「島嶼の人民」が「惨状」に陥る危険もあるので、それを避けるため、島嶼に対する経費節減を行うことで、同一県予算で現状維持を行う案を出した。これは県会でも徳義上やむを得ずとして、同一の経済を継続することにした。

 ただし、地方税補助の節減は行っているので、このままでいったら「救うべからざる悲境に陥ることになる」のを回避するために、島長の設置が訴えられようになった。

 明治18年4月、県令渡辺千秋は内務卿山県有朋に「島長設置之儀二付上申」を提出する。

鹿児島県県下の諸島は、「渡航シ得サル場所柄」という交通不便の土地だけでなく、「廃藩以来制度ノ変更ヨリ産額衰頽二立至」と、ここでは行政組織の特例を求めるという性格上、自然災害や借金問題による「衰頽」ではなく、「制度ノ変更」に糖業の衰退を求めている。これらの事情により「施政万般本庁二於テ緩急行届兼候事情有之健二付該島々ヲ以テ大島郡ニテ統括シ十分責任アル島長ヲ置キ応分ノ権限ヲ付与措置為致度」と、当時数郡に別れていた諸島嶼を島長による一元的支配を目指す案を上申したのである。

 奄美は交通不便の土地であるというだけでなく、「廃藩以来制度の変更より産額衰頽に立り至る」という点、高江洲は「自然災害や借金問題」ではなく、「制度変更」により砂糖の産出量が減少していることに着目している。偏見が抜けないのかもしれないが、ぼくはこの「制度変更」とは、藩として薩摩の時とは異なり、政府の干渉を受けなければならない、つまり鹿児島の思い通りにだけできなくなった結果ではないかという疑問を抱く。

 この上申は採用されなかったので、5月、「大島郡二島長ノ置候儀再上申」が提出される。

「大隅国大島外二部及薩摩国川辺郡十島」は、「風土民情内地ト大二異ナルモノ有之且ツ遠隔ノ地勢往復不便ニシテ為メニ施政上難行届儀」があると、上申と同じく地理的要因を述べているが、この再上申では、それ以外の政治的要因についても述べている。この政治的要因とは、経済力の格差を前提とする県予算の不均衡な分配を回避することで、島嶼への有効な予算活用を目指すものであった。

 この再上申もされなかった。しかし、

 同年の七月に内務卿から支庁の設置が上請され、この案が採用され、これまでの郡役所が廃止され、大島郡には金久支庁が設置されることになった。

 島庁設置は採用されなかったが、結局はその流れで支庁が設置されることになった。ここで島々に置かれていた郡役所が廃止されて、金久支庁が置かれた。ところが、明治19年には、地方官管制が定められると、支庁長から島司に改められる。

 ここでの文脈からいえば、金久支庁は、県議会から発せられる経済分離の主張を背景に、奄美の産業振興を目的としたものであると読める。


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