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2010/01/14

「近代日本の地方統治と『島嶼』」5

 明治七(一八八四)年、大島県設置案が、大隈大蔵卿から三条実美太政大臣宛てに提出される。
 そこには、こうあるという。

 ①各島従来島津家ノ所領二俣処置県之際鹿児島県ノ所椿二相成侯得共風俗言語稍中国ト不相同随テ政令治教モ難及候二付目今授産収税等其他百般ノ制度モ先ツ従前仕来ノ侭致墨守候儀二有之……
 ②島々産物ノ儀ハ砂糖第一品ニテ其次ハ米麦綜欄芭蕉布等有之候へトモ是迄藩治ノ圧制ヲ以テ多少民力ヲ致傷審候・…且人民頑愚ニシテ種芸製工ノ術ヲ不尽就中絶海ノ島峡人跡希少ノ地ニテ見聞ノ智習学ノ切ハ更ニ無之…

1.各島は従来島津家の所領で鹿児島県の所轄になったのだが、風俗、言語ともにやや中国と似ているので、政令地教も及びがたく、仕事を与えるのも税を採りたてるのもその他、百姓の制度もまず従前のまま墨守させるほかない。

2.島々の産物は砂糖が第一品でその次は「米麦綜欄芭蕉布等」があるといっても、これまで藩治の圧政があて多少民力は傷を負っている。かつ人民は頑愚で農産物を育成する術もなく、特に絶海の島嶼では人も少なく、見聞したり知識を得たりするところは更に無く。

 ちょっと訳が怪しいのだけれど、こんな意味だと思う。ひどい認識だが、こういうことなので、作業を起こし物産を繁殖させるのは到底できそうにもない。そんな評価を下していた。しかしにもかかわらず、

大島をはじめ「南島各地ノ良産」である砂糖はまた「方今輸入品ノ第二であるため、その産業振興は必要な課題であった。そこで大蔵省が出した解決案が、本節で検討しようとしている「大島二一県ヲ置」という大島県構想であった。(「近代日本の地方統治と『島嶼』」

 と、大蔵省発の大島県設置案が構想された。これは、

こうした、実現配慮の乏しさから逆に大鳥県設置に求めていた理想像というものは、はっきりしている。そこで、大島県設置案から導き出せる、当時の大蔵省の政治的意図を確認すると、産業立国論の一環として構想していたことが分かる。

 産業立国のひとつの形として構想されたものだった。

 この設置案は九月に「内務卿大久保利通帰京ノ上御裁可相成度」という理由で、採決は延期されることになった。史料の残存上細かいやり凝りは分からないが、大島県の設置を認めた達も出されてない以上、この構想は未遂に終わったようである。

 大久保が「否」とした文書なりは見つかっていないようだが、その後の経緯から未遂に終わる。大島県設置は、当然ながら奄美が鹿児島県から分離することを意味している。これは大島商社をつくり奄美の黒糖を専売制を敷き独占しようとする鹿児島県の利害とは反するものであった。

 ぼくたちはここでふと、大久保の真意を推し量りたくなるが、邪推にもなるので先に行く。

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