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2010/01/26

『ヒロシマ独立論』

 『ヒロシマ独立論』。カタカナで綴られる広島の意味を辿りたいという想いで読んだ。

 ここには、少なくとも、廣島、ヒロシマ、広島、ひろしま、の四つの広島が登場する。軍都であった「廣島」、原子爆弾による壊滅とともにその初期、「平和」として普遍理念化された「ヒロシマ」、そして現にある「広島」。そして、壊滅の現実にさらされた広島の人々から、軍事的、迫害的な脅威に、潜在的な意味も含めさらされている人々までを包含する「ひろしま」、をぼくは感じ取った。それなら、書名にいう「ヒロシマ」とは、平和として普遍理念化された「ヒロシマ」だろうか。それは、そうではない。

 (前略)「ヒロシマ」というシンボルの抽象化・理念化・普遍化はどこまで可能だろうか。ヒロシマにはパールハーバーが対置されることもあれば、敵対した連合国のなかから志願・徴兵・動員された兵士たちから新たな「死」を引き出さなかったということがいわれるだけではない。アジアの被侵略国の一部の感情からすれば、原爆によって解放されたという声も少なくない。広島のサバイバーのなかにさえ、そうした思いがあったことは多くの証言にみてとれる。

 「ヒロシマ」は相対化され、理念を反転されてすらいる。そしてそれだけではない。東によれば、こうだ。

 特に米スミソニアン博物館での 「エノラ・ゲイ」展示問題以降、広島は「反米」の意識からか、よりナショナリズム的な反核の立場を強くさせてしまったのではないか。日本のなかのヒロシマ。ただ、残念なことというべきか、希望の余地があるというべきか、ヒロシマは誰にも属さない。人類全てのヒロシマなのであり、そのことに鈍感なのは、皮肉なことに今や誰よりもまず現実の「広島」の住民=「日本人たち」なのである。おそらく「アメリカ」 のなかでの異物であることを認識している「アメリカ人」オカザキの、ヒロシマであることをやめた広島への、ヒロシマをあくまで広島として押し込めつつも、ヒロシマをアリバイとして利用さえしながら右傾化への道を突き進む日本への危供は、そうした状況への素朴な疑問としてあるはずだ。

 普遍理念としての「ヒロシマ」は、当の広島の人々、日本人に顧みられなくなってしまっている。東はそこで「ヒロシマ」を生きたものにしなければならないと考える。

 現在の広島が、今一度ヒロシマとなるためには、「日本」のアリバイとしての平和都市としてプレゼンスするのではなく、シュリンクパックされた平和のテーマパーク都市としてではなく、明確な友愛の念をもって、友と自らを脅かす暴力への非合意を謳うことをおそれてはいけないのだ。

 この進みゆきはモノローグのように響いてくるが、それは故郷を辿るとき、現実の事物や人物との交流というだけでなく、記憶や思い出との問答が幾重にも連なっていることの表れだと思う。モノローグのような声に耳をそばだてるようにいくと、東の構想する「ヒロシマ」まで連れていってもらえる。

 ヒロシマ以後。日本が敗戦したことなんか、問題ではないとあえて言ってしまうこと。一瞬に一〇万もの人間の生命が消し去られたこと、その後に多くの人々が苦しみ続けたこと。そのことを科学技術的に政治的に可能にしてしまったことが、世界にとってはすさまじい重さとなってのしかかっている。その重さを受け止めているのは、どこか特定の 「国」や「国民」ではない。世界中のさまざまな意味での帰属に関係なく散在する「人々」なのだ。
 そのような重さを担ったシンボルが、倣慢な「日本」に利用されるぐらいなら「独立」 した方がいい。これは、沖縄独立論のような一種のナショナリズムとはまったく異なる独立論である。広島独立などというと、たしかに何かと泥臭いヒロシマ・ナショナリズムを連想されてしまいがちな土地柄/イメージではあるものの、かなり異なるものとして構想したい。

 こうして構想されるのは、「避難都市」としての「ヒロシマ」だ。

① ヒロシマは、避難都市宣言を行う。現行の広島市旧市街地の車両規制などの再再開発を実施、さらに当空間周辺の市管理建造物を避難空間として提供・活用する。
② 避難都市内においては、本憲法、日本国憲法及び諸国際法規を直接適用し、日本国の下位法規には拘束されない。
③ ヒロシマ避難都市は、いかなる法規に基づく「犯罪者」であっても、あらゆるものを受け入れる。この「避難民」は、本空間及び避難都市内においては、避難元のあらゆる法規の適用から除外され、②の法規以外の拘束を受けない。

 「「犯罪者」であっても」とあるように、犯罪者のみの避難都市ではない。むしろ、軍事的、迫害的な脅威に潜在的な意味も含めさらされている人々を指すのだと思う。東は書いている。

 私たちは広島にありながら、無数のヒロシマに呼びかける。Hiroshimaではなく、hiroshimas とことばにしてみるのだ。世界中のあらゆる「ヒロシマ」的な状況に置かれた人々の声に耳を澄ますことを私たちは目指す。都市のなかの貧困や不正。自国の、あるいは異国の軍事にさらされる島々。あらゆる「ひろしまの子」たちの叫びに耳を澄まし、また、呼びかける。

 「ヒロシマ独立論」とは、「ひろしま」のための避難都市として「ヒロシマ」をふたたび普遍理念化する試みであると受け止めることができる。ぼくは、沖縄復帰前に、学生運動に敗れあるいは人生の敗残者のように逃れてきた人々やヒッピーを受け入れていた与論島のことを思い出した。

 ところで東は、この構想を遊戯として受け取ってもらっていいと言っている。

 独立宣言や憲法試案をひとりでコツコツ書いているあいだは俺は狂人かという気持ちでいたが、これで晴れておおっぴらに狂人だ。実のところ、こちらは大真面目なのだが、宣言や憲法案などもついて 「遊べる」本としても受け止めてほしいと思っている。酒の肴に、家族の団欒に、職場での笑い話のネタに、学校などでのテキストやワークショップのおもちゃに、対行政・警察マニュアルに(?)、といろいろな用途で遊んで頂ければさいわいだ。「広島が独立するとか言ってる人がいるらしいよ」「へえ、バカじゃないの。独立なんてできんの?」「知らなーい。でも、日本てウザいから、うちも独立しょうかな。ははは」とか、みんなが笑っているうちにいろんなところで瓢箪から駒となればしめたものだ。

 ここにあるように、もちろん東は真剣なのだ。

 ぼくは奄美をどのように構想するのかということについて、その自由度という意味で刺激を受ける。一人ひとりが構想を持つことが重要なのだし、それは実現の可能性に向かって開かれているのだと思う。


    『ヒロシマ独立論』

Hiroshima

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