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2010/01/15

「観光立島再構築へ」

 元旦の南海日日新聞。當田由紀子さんの特集記事がとても充実していた。

 「転機迎えた与論観光」。構想の実現のため、コミュニケーション戦略に注力してほしい。繰り返しになるけれど、インターネット・コミュニケーションは、どう転んでも手の届かない大枚をはたく必要もなければ、本を重ねる刻苦勉励が必要なわけでもない。手の届くすぐそこに、ツールがある。役場、民宿、ホテルに携わる人、若い人がやってくれれば、いつでも呼応して応援したい。(以下、記事「観光立島再構築へ」)


 レジャーの多様化や沖縄観光の台頭などを背景に与論観光の低迷が続いている。与論島への入り込み客数は、離島ブームを追い風に15万人を突破した昭和50年代の4割に減少。宿泊施設は約100軒から27軒へと減り、島中が活気に包まれた当時の面影は薄れつつある。

 ただ、厳しい現状に関係者も手をこまねいているわけではない。観光客の選択肢が広がる中、他地域との差別化をどう図るか。ヨロン島観光協会は「癒やしと健康」を切り口にしたヘルスアイランド構想を展開。多様化するニーズを踏まえ、健康志向をとらえた食文化の発信や体験メニューの創出など観光資源の掘り起こしにてこ入れを急ぐ。

 自然、農漁業、文化など団体の枠を超えた連携下で「見る観光」から「体験する観光」へ軸足を移した観光地づくり。減少幅の大きい夏季の誘客対策や新規の顧客獲得、宿泊施設の改修など課題は山積みだ。近年の動向から観光立島の再構築に向けた糸口を探る。


□団体から個人へ、ニーズも変化

 与論島への入り込み客数は1979年の15万人をピークに年々減り続け、2CO8年は6万人まで落ち込んだ。中でも顕著なのが8月の客数減。学生旅行の減少などが要因とみられ、04年から1万人を下回り、08年は最盛期の2割まで減少した。一方、冬季はリピーターや修学旅行生などが下支えし、ほぼ横ばいを維持している状況だ。

 インターネットの普及を背景に情報収集の手段は多様化。旅行代理店を通さないスタイルが定着し、団体から個人の旅行へと移行する傾向が鮮明になった。与諭町商工観光課の久留満博課長は夏季の誘客対策を課題に挙げ、「現実は非常に厳しい。観光客のニーズも変わり、地元の食や文化に触れたいという声を多く聞くようになった。若者に的を絞った宣伝にも力を入れ、ニーズを的確につかんだ観光資源を創出しなければならない」と意気込む。

 町内で民宿を経営する女性は「現在の態勢で大人数を受け入れることは現実的ではない。ゆっくり過ごせる環境を求める個人客が増えており、島全体のホスピタリティーを高めること意識を持っていくべき」と量から質への転換に目を向ける。

□「癒やしと健康J

 新たなメニューとして観光協会が進めているのが健康づくりに軸足を置いたヘルスツーリズム。長寿食材を活用した料理やタラソラピー、ジョギング・ウォキングコースの整備を通して「癒やしと健康」を切り口にしたヘルスアイランド構想を描いた。

 計画にはさまざまな団体がかかわり、観光客との交流にも積極的だ。与論町食生活改善推進連絡協議会は地場産食材を活用した長寿食のPRに協力。町内の美容関係者でつくる「ヨロソ癒やしの会」は島の素材をエステなどに取り入れた「ヨロンセラピー」を考案した。与論島沖の深層水を使った化粧品の開発にも携わり、川畑征美代表は「商品を気に入った人が足を運んでくれたらうれしい」と特産品を通じた魅力発信に意欲を見せる。

 構想の実現に向け、観光協会はヨロンマラソンのハーフコースを活用したウォーキング、ジョギングコースを新設。宿泊施設からの距離やカロリー消費量を案内板に表示し、ウォーキングを兼ねた自然探索を提案する。

□情報化で広がる誘客機会

 観光動向とは対照的に実績を伸ばしているのが修学旅行だ。他校との重複を避けて日程を調整する「1島1校」の受け入れを強調したPRを展開。ダイビングや農業、エイサーといった体験・交流型のメニューが人気を集め、近年は毎年二、三千人を受け入れている。卒業後に再来島するケースもあり、「一般の観光に比べて経済効果は少ないが、新規開拓の糸口になる」(タクシー運転手)。

 さらに島内では映画「めがね」(07年公開)の撮影が行われ、ロケ地としても知られるようになった。上映を機に観光客が訪れるようになったホテル「ヨロン島ビレッジ」の池田和枝さんは「最盛期の知名度には及ばないが、与論を知らなかった人にアピールする機会になった」と話し、「リーフに囲まれた白い砂浜と青い海が人々を感動させる。美化に力を入れればこれ以上の施設は不要。観光に携わる私たちの努力が一番大切だと自覚している」と襟を正した。

 このほか、昨年は東京都の大手飲料メーカーが3泊4日の与論旅行を懸賞に決定。抽選で選ばれた40人が来島し、星空観察や百合ケ浜上陸ツアーを楽しんだ。
全国展開の同社製品を通じた情報発信が間接的な宣伝につながった格好だ。
情報化社会の中で無限に広がる誘客機会。来島者の心をとらえる観光資源を創出し、新規開拓やリピーターの獲得につなげられるかが観光立島の生き残りを左右る。

□体験型観光の推進

 観光客の選択肢が広がる中、他地域との差別化をどう図るか。航空運賃の安い冬季に合わせて10年間与論島に通い続けている滋貿県の60代夫婦は「沖縄とは違った自然が魅力。背伸びせず、素朴な景観を維持してほしい」。大阪府から来島した70代女性は「沖縄に比べると関西での知名度はまだまだ。こんなに良い所なのにもったいない」。「単独の島としては評価できる数字」(久留課長).という3割のリピーター率を裏付けるように観光客の満足度は高い半面、知名度不足を指摘する声も聞かれた。

 与論町の第4次総合振興計画(01年度~10年度)は年間10万人の観光客数を目標化し、都市圏以外での宣伝強化を明記。主要施策の柱に①与論独特の観光地づくり(ギリシャ風の景観づくり、海浜部の環境整備)②誘客対策の充実(沖縄・九州本土への集中宣伝、インターネットを活用した広報)③受け入れ態勢の充実(人材育成、郷土料理や特産品の開発など)④推進体制の充実-を掲げ、体験型観光の推進を打ち出した。

 ヨロン島観光協会の田畑克夫会長は「観光産業が外貨を稼ぎ、島全体を括気づはるという認識を共有する源を商品化するためには親光業にとどまらない多角的なアプローチが求められる。

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コメント

「インターネットコミュニケーション」
かっこいい表現(戦略)だが、島んちゅには、なかなか一歩が踏み出せない。情報を発信すればいい。と簡単に言うかもしれないが、それがなかなかできない。

島んちゅは、島に住んでいて本当に幸せだと思っているのだろうか。島んちゅの誇りをもっているのだろうか。

まだまだ、都会をうらやましく思っているのではないだろうか。

その辺のことから、考えていかないとコミュニケーションも自信をもってできないのでは・・・・・と思いますが。

投稿: ヨシ | 2010/01/15 17:46

ヨシさん

そう、そこです。情報発信じゃないと思うんです。
しゅーやうぁーちきぬゆたしゃい。今日は天気がいい。ゆうべは与論献奉やりすぎた。雨が降らなくてきびが心配。最近、台風がこない。ハイビスカスはいつ見てもきれい。

っていう日常が読みたいんです。おしゃべり、むぬがったい、ですから。

控えめでこだわりを出さず、しまんちゅそのままで。

ヨシさんがやってくれると嬉しいです。(^^)

投稿: 喜山 | 2010/01/16 12:22

喜山さん

なるほど。あまり深く考えなくても言いわけですね。

わんなが、にゃんからいっちゃーまえーばん、むぬがったいしちみゃんや~。

とうとぅがなし。

投稿: ヨシ | 2010/01/16 23:30

ヨシさん

うれーがしちくりりぼー、わなみったん、いしょーしゃいどー。

それにネットの場合は、助け合って教えあって進めることができます。ゆんぬんちゅの得意なところです。

投稿: 喜山 | 2010/01/17 20:50

私が最初に訪れた昭和47(1972)年の面影は少なくなってしまい、与論島の魅力が半減したのが実態です。

当時は、道路の舗装は茶花の一部だけ、信号機のない道。

島にあったのは与論民具館と、入口がどこか判らない赤崎鍾乳洞だけ。

昼食は大金久海岸の屋台のインスタント・ラーメンかカレーが定番。

何もない亜熱帯の島でノンビリ過ごすのが最高でした。

正直言って、モニュメントや近代的な建物が目に入らない沖縄の離島へ直行です。

与論島は観光開発をやりすぎました。

投稿: 離島旅行愛好者 | 2011/08/08 01:06

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