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2010/01/20

「近代日本の地方統治と『島嶼』」9

 翌年の明治20年。

「支庁ヲ置キ郡衙ヲ廃止セラレタルニ依り之ガ経費ヲ減センノミナラス支庁ノ所轄二属スル警察費モ併テ国庫ノ支弁二帰セラレンヲ以テ地方税ノ負担ヲ軽減シ収支ノ平均ヲ得タルモノヽ如シ」という評価を得ることになった。(「近代日本の地方統治と『島嶼』」

 支庁を置くことで経費を節減するだけでなく、警察費も国庫の支出に気することで地方税の負担を軽減し収支の平均を得ることになった。高江洲によれば、「この説明から県会議員から建議された島嶼のために地方税が補充される問題に対する是正が取り組まれることになったのである」。

…風土人情ノ異ナルニ因り従テ地方経済ノ点二至テハ利害ノ関スル処得失ノ因ル処雷壌の差アリ為二県会議員等モ自ラ其所見ヲ同フセサリシヲ以テ内地議員ノ可トスル処ハ島嶼議員ハ之ヲ否トシ恰モ氷炭器ヲ一ニスルノ状況ヲ免レス然ルニ内地議員ノ多数二制セラレ百事内地ノ標準二因り左右セラル、ノ情勢アリ為メニ島嶼二適切ナル事業ヲ起サントスルモ勢ヒ得サルモノアリ加之島民ハ其利害二関セサル費用ノ負担ヲ受クルモノ亦少クナラストス……

 風土人情が異なるから、地方経済の点においても利害、得失は雷と土ほどの差があり、県会議員らも所見は同じではなく、内地議員の可とするところは島嶼議員が否とし、甚だしい相違を免れない。しかるに内地議員の多数に制せられ、万事が内地の標準によって左右せられる情勢があり、ために島嶼に適切なる事業を起こさんとするも勢いを得ない。加えて島民はその利害に関しない費用を負担することもまた少なくない。

 つまり、「内地」議員から、島嶼の経費不足を補うため他所から地方税を補充する現状を批判する動きがあり、それに対して鹿児島県令は支庁の設置など経費節減で事態の打開を図る動きがあった。このように地方税経済とは島嶼にとって経費不足を補うという利点がある一方で、地方税の用途については、島嶼の利益が代弁されない、「内地」のために島民が犠牲を被るという不平等な機能も有していたのである。

 20年8月、大島島司森岡真から提出された「鹿児島県大島島庁部下施政上に付意見書」。

「急要ナル」政策として三点あげている。第一点は、「内地一般法律規則ノ施行難キモノハ姑ク之ヲ行ハス」という法律の一律施行から現地斟酌主義への移行を求める点。第二点は、「各島二汽船航通ノ便ヲ開」こと。第三点は、先程から議論になっている「島嶼二係ル地方税ヲ分別スルコト」であった。

 緊急に必要な政策として、現地斟酌主義、海上交通を開くこと、地方税を分別すること。地方税分別を支持する理由としては、

「汽船航通ノ便ヲ与」えるためには、地方税の活用が必要であるが、島幌の地方税の分別を建議するような県会の下では、「好結果ヲ得ル甚夕至難ナリ」という現状認識があった。こうした点も踏まえ「島庁部下二要スル起業ノ如キハ経済ヲ分離スルニ非サレハ到底望ム可カラス」というように、地方税の分離を経済振興のための要因としてとらえていたのである。さらに「風災二確り」納税のために借金をするなど、「負債堆積」している「島嶼ノ地方税ヲ以テ内地ノ事業ヲ補翼スルカ如キハ頗フル允当ヲ失ス」という地方税の活用をめぐる不合理に対する批判的認識があった。このように大島島司の地方税分離政策の支持とは、島嶼と「内地」との政治的力関係を踏まえ、地方税の有効活用を目指すものであったといえる。

 汽船交通の便を与えるためには、地方税の活用が必要であるが、島嶼の地方税の分別を建議するような県会のもとでは、好結果を得るのは甚だ至難だという現状認識があった。だから、島庁部下に要する起業は経済分離をするのではければ到底望めない。

 「地方税の分離を経済振興のための要因としてとらえていたのである」と高江洲は書くが、これは島長が望ましいとしたというより、県会への失望を通じてそうせざるをえないというやむない選択ではなかったか。そのように読めるのだが。

 20年9月、県知事が「地方税分離の儀」を提出。 

この具申では、奄美諸島を「人事進化ノ度内地二劣」り、「沈輪ノ域二際会セル」土地とし、こうした島嶼の地方税を「内地ノ事業二充テルカ如キ允当ナラサル」と指摘している。さらに、県会からの批判を受けて「支庁ヲ置キ警察費国庫ノ支弁二帰シ島嶼ノ衰頽ヲ挽回シ以テ失意破落ノ民ヲ救治」しようとしたが、これだけでは「相叶ハサル」ため、「地方税規則第九条二依り訪島嶼二係ル地方税分別議按」を提出するとしている。

 奄美は、人事進化は内地に劣り深く沈んだ土地であり、島嶼の地方税を内地の事業に充てるのは理に叶っていない。県会からの批判を受けて支庁を置き、警察費を国家支出にし島嶼の衰退を挽回して失意破落の民を救治しようとしたが、相叶わざるので、島嶼にかかわる地方税を分別する議案を提出する。そう言っていると思う。

 県会の議決は、

県会の議決書は、「大島々庁所管ノ各島嶼ハ絶海ニ点在シテ県庁ヲ距ル殆ト二百里内外二捗り風土人情生計等内地ト異ナリ随テ地方税経済上二於テモ亦其利害ノ開スル所自ラ異ナルニヨリ地方税規則第九条二依り明治廿二年度ヨリ該島嶼二係ル経費ハ左二分別ス」というように簡潔な決議書である。

 大島島庁の各島嶼は絶海に点在して県庁から隔たることほとんど二百里内外にわたり、風土人情生計は内地と異なり、地方税経済においてもまたその利害が自ら異なるので、島嶼にかかわる経費は分別す。

この簡略な県会の決議書からは、県知事からの具状や島司の意見書で確認したような、地方税をめぐる「内地」と島嶼の対立の構図が不明瞭になっている。それだけでなく、島嶼にとって、地方税分離がもたらす正負の側面-県会と知事の両者で解釈の違いが生じていた地方税分離の質的違いIというものも不在になってしまった。

 形式的な文面で通過された、ということ。

 今回は「書面異状ノ趣聞属僚」ということになり名分的には奄美諸島の経済を救うために、地方税経済の分離がなされることになった。「自治経済ノ精神ヲ強固ニスル」ために取られた措置であったが、実施後は高率の税負担にもかかわらず財政規模は拡大せず奄美諸島の財政状況を厳しくした。

 確かに、地方税の分離が、「奄美諸島の経済を救うため」というのはいかにも「名分的」なものであり、「自治経済の精神を強固にする」ためという文言も方便にしか聞こえない。

 島民の負債高と財政圧迫をもたらした独立経済は、実施後たびたび否定的評価が与えられ、その廃止が述べられ、昭和一五、一九四〇)年にその役割を終えた。この独立経済は、同時代においても否定的であったが、後の研究者からも差別的と評価されたように、地方税経済の分離という政策はある意味で失敗だったといえる。つまり、地方税経済のもとでは島嶼地域の振興がはかられないとして、独立経済を行うことで「窮乏」からの脱却を目指したのだが、それが産業の停滞を押し止どめるという不幸な結果になったのである。独立経済がもっていた正負の側面のうち、負の側面に歴史は動いたといえる。ただし、独立経済は地方税経済がもたらした島嶼に対する差別的構造に着目し、それを打開しようとした点があったことを理解する必要はあると思う。

 「地方税経済のもとでは島嶼地域の振興がはかられないとして、独立経済を行うことで「窮乏」からの脱却を目指した」という経緯は理解できるのだが、しかし、経緯を辿ったあとでも、それはそうせざるをえない追い詰められた選択であり、「負の側面に歴史は動いた」というのは必然でしかなかったと思えてならない。未必の故意という言葉も思い浮かぶのである。

 奄美諸島の島庁設置と独立経済はほぼ同時期に関連性をもって進められたが、その背景には、勧業育成という自治の問題が内包されていた。勧業育成を目指す「保護」の論理と、経済格差の補填を拒否する「切り捨て」の論理が並存していたのである。

 ここの結語も分かるのだが、ここにいう「保護」も、ぎりぎりのもので、だめだと分かっていてもかばう最終選択のようなものではないだろうか。

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