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2009/12/14

奄美を題材にした授業

 「奄美と沖縄をつなぐ」イベントに来ていただいた方からお便りをいただいた。中学校の先生なのだが、驚くことに授業で奄美の自然環境を題材にしているという。

 黒砂糖を配る、サトウキビを配る。サトウキビとイネを比較させて両者の違いを気づかせる。マングースやイタチが入ったことで生態系はどうなったか、教える。そして、ここから1609年のことにはいる。1609年に奄美で何が起こったか。奄美は、大型船の建造を禁じられ、貨幣の流通を禁じられ、黒糖の生産を強いられる。それはどういうことなのか、想像してもらう。そして最後、生徒たちにこう問いかけるのだという。

「あなたが映画のディレクターだとしたならば、この奄美と薩摩に関わる当時のようすを映画化するときに「奄美からの視点」と「薩摩からの視点」のどちらの立場に立ちますか?」

 この過程で、奄美の被害だけに触れているのではない。薩摩の農民も、重税については同等であったことも伝えているのだが、この落とし所、どちらが正しいか、ではなく、どちらの立場で映画を撮りたいですかという問いかけは、単純な倫理への短絡に緩衝帯を設けるものだと思う。

 ぼくはこの授業形式に驚いた。そして、ぼくがもし中学校の教師だったら、こんな授業が組めるだろうか、と自問して、できないかもしれないと思った。

 語るに値しない。そう思い続けてきた思いこみがあって、とても授業の遡上に乗せるという発想ができそうにない。あるいは、自分がやると想定したとき、鹿児島で行うことを無意識に思い浮かべてしまうからかもしれない。彼の地でやったなら、父兄の前に、学校側から反発や圧力を受けるに違いない。もしかしたら生徒にも反撥に似た反応があるかもしれない。いやぼくは、こうした反発が想定されるからできないというのではない。そんななかで冷静にこの内容の授業を行うのは難しいと感じるのだ。

 でもよく考えると、これらのことは思いこみであって、率直に行えばいいだけのことではないのか。この方からのお便りは、何かをする前に、諦めている自分を気づかされる想いだった。この一年、400年関連イベントに目を凝らし、何度もなんども同じテーマをめぐって考えてきた。ふつうにみれば、なぜここまでこだわるのか不思議にも見えるだろう。自分でもおかしいのではないかと内省する瞬間もあるなか、こうしたお便りをいただけるのは望外の嬉しさだった。ちなみにこの方は奄美の出身ではない。奄美外の人に伝える努力をすること。伝わることはあるということ。そういう励ましを受け取る。そういう意味では、400年をめぐる出来事のなかでは今年もっとも嬉しいニュースだった。


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