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2009/12/19

「日本にとって沖縄とは何か」

 「日本にとって沖縄とは何か」シンポジウムのその場レポート。ぼくとしては、ずっと、「日本にとって奄美とは何か」という問いを考えずにはいられなかった。紙屋さん、真栄平さんの話は、紙上でも読んだことがあり、あまりメモを取らなかった。あとで後悔。

 ヨーゼフ・クライナーの話には、奄美も含まれていて感銘を受けた。


◆13:00─13:50 紙屋敦之(早稲田大学文学学術院教授)
       「薩摩の琉球侵攻―東アジアの中の琉球―」

 徳川は1610年、「琉球は代々中山王が国になれば」として、日明貿易の仲介を期待して、琉球王国の存続を命じる。

 メモ。これは薩摩にとっては、奄美の直轄領化を幕府に対して隠蔽する動機の強化を意味したに違いない。


◆13:50─14:35 真栄平房昭(神戸女学院大学文学部総合文化学科教授)
       「女性史から見た薩摩の琉球侵略─その歴史と伝承─」

 歴史を人間の視点からみる。それを可視化するために、「女性」の視点を導入しているのだと思う。
 これまで三千の兵がいながら徹底抗戦しなかったのはなぜか、という問いかけがあったが、女性の身柄の安全を確保するためにそうしたという考え方も成り立つのではないか。

 薩摩は琉球における女性の知行権を廃止しようとした。しかし琉球においては女房衆」の抵抗によって実現しない。しかし、奄美では強く実行された。

 (メモ。沖縄本島のハジチ。アマングヮは、左手の手首にある。)

 世界的にみると、女性だけが入れ墨をするのは珍しい。ここには幕藩体制下の異国的要素が現れている。


◆14:35─15:30 Rosa Caroli ローザ・カーロリ(ベネチア大学日本学科教授)
       「沖縄県設置における尚泰氏の役割をめぐって」

 尚泰(首里1843-東京1901)。
 尚泰の従順な態度は沖縄の日本政府に対する態度の象徴としてみられてきた。尚泰の悲劇的でロマンティクな人物像は、それにふさわしいものだった。

 1872年7月。王制一新の慶賀を理由として明治政府から上京を命じられる。9月。琉球藩の設置。尚泰王は琉球藩王となる。1875年から4年間、3回も松田道之は那覇を訪れる。1879年3月、沖縄県設置。尚泰は首里城の明け渡しと東京への出発命令を受ける。

 4月27日、尚泰の長男、尚典は、那覇を離れ、5月2日、東京に到着。5月19日、尚泰は上京を決断。6月9日、上京。6月17日、東京在住を命じられる。「以上の経過を経て、琉球処分は、国内的には完結した」。

 尚泰での在住を永続的なものと考えたかどうかは明らかではない。明治政府は、いつ東京を尚泰の永続的な居住先と考えたのか。

 尚家からみれば、尚泰が次男まで東京に連れて行ったのは、沖縄に尚家の王位継承者がいなくなることを意味した。

 尚泰の悲劇的でロマンティクな人物像は、部分的に過ぎない。尚泰の果たした役割は再考する必要がある。

 (うまく聞き取れず、メモが不完全。申し訳ない)。


◆15:40─16:25 牧野浩隆(沖縄県立博物館・美術館館長)
       「日本の安全保障と沖縄経済」

 沖縄では知事選で安保反対かどうかが争点になる。
 1948年、東西冷戦の勃発を背景として、日本の範囲から Ryukyu Islands が外される。

 (マッカーサー、トルーマンの肉声をテープで流す)

 ドッジ・ライン 日本の為替レートは、1ドル360円。沖縄は、1ドル120円。結果、沖縄では製造業は育たず、輸入して販売する第三次的なものになった。

 復帰時の沖縄問題。輸入依存体質と100%自由化(同時期、日本は20%と国内産業保護)。
 オイルショック後、公共事業、基地経済、観光客(3K)。

 いちばん問題になっているのは、基地問題。基地問題は日本の問題であることを分かってほしい。
 いま沖縄は元気です。沖縄ブームです。いまの沖縄振興開発計画は、格差ではなく沖縄の優位性を確立をテーマにしている。地方分権の流れからいうと、沖縄の「違い」が生きていく時代になる。

 日本にとって沖縄とは何か。日本のレパートリーが増えたこと。
 沖縄にとっては、日本は基地の問題である。


◆16:30─16:50  Josef Kreinerヨーゼフ・クライナー(法政大学国際日本学研究所特任教授)
       「琉球・沖縄史学や文化人類学から沖縄のアイデンティティを考える」

 沖縄からみて琉球侵攻、侵略。薩摩と同じく、沖縄も一枚岩ではなかった。
 尚寧は、駿府城は王として遇されたけれど、沖縄に帰るときには、掟十五条が出されることになった。そこでは、戦争責任の問題への言及もあった。

 西アフリカでは、人買いのために宝貝を使った。オランダ東インド会社は、最初、沖縄から直接、ついで薩摩から宝貝を購入した。

 国史の編纂。『中山世艦』。侵略から40年後。和文で書かれる。鑑。源為朝伝説も取り入れられる。政治的な理念にバックにある。序文で、「沖縄は元来日本である。人間も五穀も日本から渡ってきたもので日本は即ち本である。本にそむくものは禍に逢う。」

 しかし一枚岩ではない。『中山世譜』。これは漢文。二重的な考え方。
 この二重的な考え方は、他にもみられる。「琉球国由来記」と「琉球国旧記」。日本や中国に要求されたものではなく、琉球のイデオロギー。

 明治十年代、二十年代を通じて、改めて、自分たちとは何かを問う機会が訪れた。代表的な研究者が伊波普献。琉球の言語。結論は、昭和14年、1939年の『日本文化の南遷』。これは、『中山世艦』と同じ構造。

 沖縄の人は、日本人に150%、なりたいと思った。
 柳宗悦の講演を発端とした、「方言論争」。柳田國男、『海南小記』。大きなビジョン。佐多岬に立ちながら、日本文化の北上。「飛石説」。もうひとつ、「周圏論」。沖縄は柳田の説に従うと、二重の意味で日本の古い文化を持つことになる。沖縄の研究者は喜んで受け入れた。

 折口信夫。神々の来訪。若者が仮面仮装して演じる。日本の基層文化として説明している。『まれびとの意義』。柳田と折口、二人とも、沖縄は日本の古い文化を残している、とした。
 
 石田英一郎。「琉日同祖同系を強調するのあまり、沖縄人自身のエートノスの全体的把握や非日本的な要素の究明について、なお見落とされた・・・」

 沖縄は大切。大和中心と琉球中心。奄美を含めても、琉球は日本の1%。しかし文化を含めてみると、日本の半分を占める。沖縄を視野に入れてはじめて日本の文化の全体がつかめる。


◆16:50─17:30 我部政明(琉球大学法文学部教授)
       「戦後沖縄における自己像」

 「沖縄にとって日本は何か」。
 「記憶」。戦後の時間のなかで自分たちはどう考えてきたか。
 沖縄戦。教科書問題では、戦争を体験していない人も、おかしいと声を挙げた。沖縄では共有された記憶になっている。身体的な記憶は忘れにくい。単なる記憶以上に感情がからみつく。そのことを身近で聞くと、聞いた人にも影響を残す。

 (奄美のように、記憶の忘却をしてきた民はどうなるだろう。感情はあるのに言葉がない。)

 戦後、沖縄から日本から切り離された。それは完全ではなかった。完全に切り離されたのであれば、また沖縄の感情は違ったかもしれない。そこで、沖縄の人は、沖縄の人は日本人だろうかと考えざるを得なくなった。

 (ここは、奄美も同様に考えることができる)。

 日本人になりたいと思ってきたけど、日本人として扱われているか、という疑問が起こってくる。やっぱり日本人じゃないのかな、いやでも日本だしな。答えが出ない。

 これらが沖縄の自己像。

 このような理解の仕方は間違っているかもしれないが、メタファーを使った理解の仕方は妥当にも思える。

 沖縄の人たちは沖縄に米軍基地がってうれしいとは思っていない。アメリカも沖縄に豊かさをもたらすために基地を考えているわけではない。だから、基地のメタファーをニライカナイとみなすわけにいかない。


◆17:30─18:15 総括討論

 (得能壽美、我部政明、ヨーゼフ・クライナー、牧野浩隆、ローザ・カーロリ、真栄平房昭)」

 日本にとって沖縄とは何か。沖縄にとって日本とは何か。

真栄平。

 日本が東アジアへ起こした戦争。秀吉に始まる。戦争の記憶。1609年の戦争。日露戦争は沖縄の人が日本人のアイデンティティを持ち始めるきっかけになったのではないか。『坂の上の雲』の沖縄バージョンがあったのではないか。

 日本の中の異国。それは、琉球的な風俗が異国的であったことも寄与している。ところが明治になって、かなり日本的になってくる。

ローザ・カーロリ。

 尚泰にとって日本とは何だったのか。面白い問いだけれど、資料が少なく答えるのが難しい。

牧野浩隆。

 近代は中央集権的な動き。ここ20~30年は道州制などの地方分権的議論。重ならない部分は地域の特性。これは県庁を叱咤激励するときの言い方だけれど。1/47ではなく、1対46で考える。しかし、いまだに遅れているものは何か、という目でものをみてしまう。

ヨーゼフ・クライナー。

 安良城盛昭。日本でありながら日本のなかに、より柔軟な役割を果たした沖縄。高良-安良城パラダイム。
 少し前の沖縄ポップで沖縄の人は少し自信がついたんじゃないか。東西ドイツの統一によって東ドイツは、沖縄のような働きはできなかった。

我部政明。

 沖縄にとって国家とは何か。国家は目に見えない。国家に意思があるかというと、ないんじゃないかと思う。固定的な風に見ないほうがいいんじゃないか。歴史の話をすると、人が見えなくなる感じがする。日米関係もあまり説明的に理解しようとすると、間違うんじゃないか。人間が歴史を作っているんじゃないか。


普天間問題。

牧野浩隆。

 危険性の論理と反戦平和の論理。

我部政明。

 アメリカは普天間基地を危険だとは言わない。日本側からの要請でやるんだという理解をしている。日本側も、危険というのは沖縄の人が言ってるんだという言い方は変わってきている。

Kc380188

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