「奄美は沖縄や大和の奥座敷」
大阪の永田さんに、あなたと波長の合う記事では?と紹介された。
休暇を利用して沖縄へ遊びに行った。同じ亜熱帯とはいえ微妙に気温の差はあるようで、奄美と比べると暖かい。東京から来た友人は嬉々として早朝ダイビングへ向かっていた
◆この島を訪れるたび、繰り返し自問する。奄美と沖縄の違いは何だろうと。例えば公設市場の土産店で出会ったおじさん。巧みな話術に乗せられ、ふと気付けば買う予定の無かったラー油を手に取っている自分がいた。例えば首里城やエイサー。そのあでやかさ、華やかさにただただ圧倒されてしまう
◆琉球の王朝文化と奄美の民衆文化。そもそも比べること自体ナンセンスだと自覚しつつ、観光客を惹き付けてやまない沖縄にどこかでやきもちを焼いているんだと思う
◆ある人が「奄美は沖縄や大和の奥座敷」と表現した。島唄の奥深さ、シマッチュの奥ゆかしさ。記者になって10年間、古里の「良さ」を模索し続けている。あと少し、見えそうでまだはっきりとは見えてこない。(真)(Web 編集メモ)
「奄美は沖縄や大和の奥座敷」というのは言い得ていると思う。与論も、ブームのころは「オキナワ・ヨロン」ともうひとつの沖縄だったし、沖縄の復帰前はそれこそ大和の奥座敷として、大和から流れてくる人が多かった。
編集子は「琉球の王朝文化と奄美の民衆文化」と比較するが、「琉球の王朝文化と琉球の民衆文化」としても同じだとぼくは感じる。それこそ「島唄の奥深さ、シマッチュの奥ゆかしさ」は共通するものだ。「奄美と沖縄の違いは何だろうと」というとき、きっと大島と沖縄島を比べているのだろう。そうしないで、大島と喜界島、徳之島、沖永良部島と島伝いに比較してゆけば、グラデーションを通じて連続性が感じられるだろうし、そうかと思えば、八重山の島に来て突然、とても近しいものに出会ったりするはずだ。
「観光客を惹き付けてやまない沖縄にどこかでやきもちを焼いているんだと思う」という編集子の正直さがぼくは好きだと感じた。「Web編集メモ」はネットでしか読めないコンテンツだろう(違うかな?)。得した気分だ。
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コメント
大分古いコンテンツですが、感性がとても同感するところがあります。私もかつて奄美の島々を旅したことがあります。これはまるで昔の沖縄ではないかと感じました。
投稿: 与那嶺 | 2020/05/18 08:32