いじけやすさ
思い出せば、「奄美と沖縄をつなぐ」イベントの「異種格闘型トークセッション」の際、藤木勇人さんが、自分たちの特徴として、虐げられ続けると、ひねやすくなる、と話したくだりがあった。隣りで聞いていたぼくは思い当たる節、大ありだった。
鹿児島がものを言えば、どうせ奄美のことは入ってないんでしょ、と思い、
日本がものを言えば、どうせ琉球的なものは入ってないんでしょ、と思い、
奄美大島がものを言えば、どうせ与論のことは入ってないんでしょ、と思い、
沖縄がものを言えば、奄美も含まれるけど関心ないんでしょ、と思う。
でもって、その先入見がたいていは裏切られないから、いじけは再生産され固着してしまう。ああ、確かにぼくはいじけやすいし、その分、言葉が強がって出たりする。けれど、それでは先入観も固定化してしまう。するとよくないのは、誰かの他意なきひと言を悪意の決め付けに見なしてしまうことがある、のだ。
でも、いじけやすさこそ、わがなつかしきすみかなれ、と言い続けて終わりたくはない。いじけやすさの克服、ですね。
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コメント
昨夜、とあるコンサートに行ったら、今年は「世界天文年」だったと知りました。
1609年とスクリーンに映し出された時に「あれっ?どこかで見た数字」・・・
ガリレオが望遠鏡で宇宙を見てから、400年を記念しているそうです。
奄美と世界、同じ頃に雲泥の差があったのだなと、同じ人間でありながら・・・なんとも言えない気持ちになりました。
子どもの頃から、なぜか奄美は憧れでした。
そして、今も、奄美出身のアーチストの曲を聴く時、「奄美」がにじみ出てくる感じがたまらなく好きです。
なんでもない都市郊外で育ち、田舎もない。実家を出た今、郷愁すら感じることはありません。まだ20代だからなのか?わからないけれど。
こんなにも生まれ育った地に想い、重い?を抱く喜山さんが、そこまで怒れる、いじけられる?故郷を持つ島人が、わたしには羨ましくて仕方がないのです。
過去から、ここまで来た軌跡、わたしはまだまだ勉強不足だからその苦労はわかってないけれど、多分想像出来ないことなのだと思うけれど・・・だから、そんな風に感じている喜山さんが不思議です。
投稿: kemo | 2009/12/03 23:59
お久しぶりです。
昨日、郷土研究会の役員3人で原口泉先生を案内しました。主に城跡を中心にハミゴーまでの道のりでした。
前の日は、KAMあまみのシンポジュームがあって、 原口先生の基調講演がありました。
流暢な話ぶりでしたが、かねてから喜山さんが書いていることに同調しました。
ただ、最後の締めで 自分の島は自分達で築いていかなければならない、には納得させられました。
投稿: awa | 2009/12/04 10:05
kemoさん
ガリレオ。「それでも地球は動く」、でしたっけ?
奄美に当てはまるとどうなるでしょうね。
それでも奄美は生きる。
もしくは、
それでも奄美は唄う。
それでも奄美は踊る。
こんな感じでしょうか。
よき未来を築きたいです。
投稿: 喜山 | 2009/12/05 22:12
awaさん
自分たちで築きましょう。
能天気な太鼓持ちがへらへらやってきていい島ではありません。
投稿: 喜山 | 2009/12/05 22:15