« いじけやすさ | トップページ | 「奄美と沖縄をつなぐ」DVD »

2009/12/04

『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』

 上里隆史の『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』は、同じく今年の4月に出版された上原兼善の『島津氏の琉球侵略 ―もう一つの慶長の役』と比べると、その新しさがわかりやすい。

 上原の『島津氏の琉球侵略』は「もう一つの慶長の役」と副題がつくように、秀吉の朝鮮出兵との対比で琉球出兵(侵攻)を捉えようとしている。内容も、「慶長の役」の延長に「もう一つの慶長の役」が起こる過程の全貌を解き明かそうとするものだ。これに対して、上里の『琉日戦争一六〇九』は、海洋王国としての琉球に起点を置き、島津の九州制覇から琉球侵攻の過程へと接近している。この出発点と遠近感が違う。もっと違うのは、上原が琉球の軍事的準備を虚弱と捉えているのに対して、上原は琉球の軍事的防備を一定程度、認めている。それが、書名にも「琉日戦争」と、「戦争」を強調することになっているし、なにより、侵攻における戦闘の過程が詳しい。

 実際、奄美大島から首里城まで、薩摩軍との戦闘の様子は、これまで以上に詳細に知ることができた。ぼくは『奄美自立論』では、航路は与論島の西、東シナ海側にあるようなので、西の沖に軍船が通過した様を想像して、与論の島人の恐怖を感じ取ろうとしたのだが、『琉日戦争一六〇九』ではそれは、沖縄島北部からの眺めとして語られている。

 夜を徹して船を進めた島津軍は翌二五日午後六時頃、沖縄島の属島である北部の古宇利島に到着した。古宇利島は北部地域の玄関口・運天港の入口付近にあり、本部半島の運天と屋我地島に挟まれた内海、それをふさぐように位置する。古宇利島の海上にびっしりと停泊する八〇隻もの大船団を見た琉球人たちは戦慄したにちがいない。かつてない規模の「戦争」という津波が沖縄を襲おうとしていた。

 こうした想像は、上里が戦闘の過程を丹念に追った結果やってきたイメージだと思う。読んでいて気づいたが、戦闘過程が詳細化されると、薩摩兵や琉球人の動きがわかる。するとその分、島人が感じただろう恐怖感もほのかに伝わってくるが、そのリアリティは戦没者を慰霊する気持ちにつながる。それはこの本の効用だと感じた。

 戦闘の過程以外にも新たに知ったことは多かったが、あの謝名親方が、明への救援を認めた密書を取り戻したのは、薩摩ではなく琉球だったことにはショックを受ける。

 密書を買収した一人の嘉数親雲上は、その功績により翌一六一一年に比志島国貞・樺山久高から感状を与えられた(『愈姓家譜』)。琉球を救援するための書が琉球人によってにぎり潰される。島津氏の命とはいえ、彼らは見て見ぬふりもできたはずである。戦前から謝名親方を快く思わない勢力は確実に王府内に存在していた。戦後、尚寧政権を支えていた謝名・浦添親方らの一派は失脚し、代わって江洲・摩文仁親方ら講和に積極的だった人物が三司官の座に就いていた(後述)。こうした路線対立と人事の一新が密書奪取の背景にあったかもしれない。

 こともあろうに、樺山久高から「感状」をもらうことになるとは。


 この他に感じたのは、やはり奄美からの視点になる。上里の『琉日戦争一六〇九』は、400年の契機が反薩摩の怨恨ばかりになってはならないという内省も込めて、島津の出自や九州制覇の経緯も詳述している。そこで、追い詰められた島津が琉球に活路を見出すという、島津の背景が見えるようになっている。

 これを奄美からみるとどう見えるか。島津の詳述は、鹿児島のなかでは露骨に大仰にほめそやされ紙面を費やして語られ、その分、奄美はネグられるという経験を積んでいるので、沖縄の人にとって、島津詳述は新鮮かもしれないが、ぼくたちにはそうではない。ただ、事大主義がかってないだけ、反発なしに読めるという点がありがたい。

 そして、その分に見合うように、奄美に対する記述が手薄になるのを感じ、ほんの少しさびしく思う。そのことに、上里は無自覚ではなく、あとがきで触れている。

 本書では深く突っ込むことはできなかったが、奄美もまた沖縄の歴史を考える際には不可欠な地域であり、二〇〇九年を機会に新しい関係を築くことができればと願っている。本書が少しでもその一助になることができれば幸いである。個々の島単位ではなく琉球全体としてみた場合、奄美地域は王府にとって島津軍侵攻を阻止するための戦略上の拠点となった。古琉球における奄美の位置づけを考える一つの手がかりをこの侵攻事件は提示しているように思う。

 ぼくたちは、奄美をオーバーヘッドして鹿児島に行ってほしくないと感じる。しかし一方、島津詳述だが奄美手薄になるという帰結は、現在のところいたしかたない面も含んでいる。なぜなら、奄美自身に、詳述されたり論じられたりするための事実の発掘や仮説の展開が充分ではないからである。言い換えれば、奄美を記述してほしいと思うより、自分たちが奄美の記述を拵えてゆく課題を見出すべきだと受け止めたい。


 ところでぼくがこの本でもっとも強い印象を受けたのは別のところにあった。薩摩の琉球侵略を「琉日戦争」と捉え、琉球王国に戦争主体を見出したことにより、「琉球はなぜ敗れたのか」という視点を、内在的に取り出している。上里はこう書いている。

 こうした抵抗にもかかわらず、琉球はなぜ敗れたのだろうか。
 「島津軍が圧倒的に強かったから」と言ってしまえば身もふたもないが、この戦いから琉球側の軍事戦略をみてみると、ある事実が浮かび上がる。琉球王府は王国全域に均等に兵を配置していたのではなく、奄美の徳之島、そして那覇に軍勢を集中させていたことである。
 徳之島には王府中央より直接、軍司令官(番衆主取)が派遣されており、徳之島では湾屈・秋徳などの港湾部に一〇〇〇人以上の兵が防御していた。しかも王府からの派遣は一六〇八年冬の時点で行われており、島津軍の来襲に備え事前に防御体制を構築していたことがわかる。これは奄美大島で行われた在地勢力による抵抗とは質が異なる。
 王府は一五九二年の秀吉侵攻に備えた対応も奄美地域に役人を派遣しており、今回の島津軍の侵攻への対応と共通している。王府の基本戦略は、奄美(徳之島)を「防波堤」として敵軍を沖縄島に到達させずに阻止する方針だったとみられるのである。

 防波堤としての奄美。しかもその拠点は徳之島であったということは何を物語るか。ぼくは、時に、奄美大島から発せられる琉球王国に対する反発の声のひとつとして、琉球が見捨てたという声が強く出てくるのを不思議に感じてきたが、軍事力を徳之島に用意したのであれば、奄美大島は無防備に近い状態にされたわけであり、そこから、見捨てられたという感情が生じるのは無理ないことだ。ただ仮にそうでも、「琉球、薩摩、アメリカ」という並置や「薩摩も琉球もどっちもどっち」という観点は自己抑圧的で、もっと自己分析せらるべきものと思うけれど、見捨てられの気持ちにはこれまで思いいたることはできていなかった。


 そして、もうひとつ。琉球にとっての防波堤としての奄美、というフレーズは、もうひとつのフレーズを想起させずにいない。それは、日本にとっての防波堤としての沖縄、という、あの戦争のことだ。この連想はさまざまなことを考えさせるが、どう受け止めればいいだろう。大は小を、中心は周縁を、自らの存立の手段とみなしがちである、ということだろうか。もちろん、常にこれからもそうだと言いたいのではなく、そうありがちな歴史を超えようとして、ぼくたちは食いしばっているのだと言いたいわけだ。


 上原は、古文書の訳を書いていたので、意味のよくつかめない者には助けになった。上里は、古文書を踏まえて消化したものを書き、必要な個所だけ、訳と原文を載せる。わかりやすさはこの本の身上とするところだ。


Rywar_2

|

« いじけやすさ | トップページ | 「奄美と沖縄をつなぐ」DVD »

コメント

>戦闘過程が詳細化されると、薩摩兵や琉球人の動きがわかる。するとその分、島人が感じただろう恐怖感もほのかに伝わってくるが、そのリアリティは戦没者を慰霊する気持ちにつながる。

あなたは「29日夜半に運天を出た薩摩軍は、途中で大湾で上陸、4月1日午前6時には浦添に到着した」という「戦闘過程」にリアリティを感じられるんですかwww頭大丈夫ですか?島人の恐怖感に同情するより自分のオツムを心配した方がいいと思いますね。私の見るところ、「島人」はあなたとか上里隆史みたいなアホの同情は必要なさそうです。

>王府の基本戦略は、奄美(徳之島)を「防波堤」として敵軍を沖縄島に到達させずに阻止する方針だったとみられるのである。

王府の基本戦略→とっくに隠居した西来院に泣きついて謝ってもらう「小さい者は、大きい者を敵にするべきではない。ここに於いて、国王大臣は群議し、和睦の計画をたてた(西来禅院記)」

投稿: neoairwolf | 2014/02/27 17:48

neoairwolfさん

コメント、拝見しました。

投稿: 喜山 | 2014/02/27 18:46

>上原は、古文書の訳を書いていたので、意味のよくつかめない者には助けになった。上里は、古文書を踏まえて消化したものを書き、必要な個所だけ、訳と原文を載せる。わかりやすさはこの本の身上とするところだ。

あなたは中学高校で古文漢文の読み方を勉強しませんでしたか?あなたみたいな人が日本人にいるとは、漢字が分からず、先祖の歴史書が読めない朝鮮人をバカにできませんね。勉強してないから上里隆史とか高良倉吉みたいな史学科にしか受からない下等なドアホに簡単に騙されるんですよ。

投稿: neoairwolf | 2014/02/27 19:24

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/46919561

この記事へのトラックバック一覧です: 『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』:

« いじけやすさ | トップページ | 「奄美と沖縄をつなぐ」DVD »