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2009/12/31

薩摩の琉球侵略400年を捉える 5

 こうしてぼくは初発の問いに向き合える。奄美の地理と歴史は現出しただろうか。

 折りしも奄美にとって、2009年は皆既日食。しかし、日食の後姿を現すのは太陽(てぃだ)だけでなく、奄美の地理と歴史も姿を現してほしい。(「薩摩と琉球との四百年の歴史を踏まえて明日の奄美づくりを考える『奄美自立論』」

 これが、ぼくが今年、願ってきたことだった。皆既日食はあいにくの天気だったが、ドラッグと犯罪のかかわりから奄美大島は脚光を浴びることになった。大島の人にとっては迷惑だったかもしれないが、ぼくには既視感を覚えるところがあった。与論島がかつて日本の最南端と呼ばれた時期、与論は確かに、大和の吹き溜まりであり受け皿になっていた。そこで与論島は彼らにとってのアジールだったが、奄美大島がそのイメージを持っていることを一連の出来事は告げていた。それが沖縄ではなかったことは、あるシグナルを放っていると思う。

 奄美の地理と歴史は現出しただろうか。その直接的な成果に見えるのは、奄美市の教育委員会が「奄美郷土読本(歴史編)」(「薩摩侵攻400年にあたっての児童・生徒用副読本の必要性について」)の作成をスケジュール化したことだ。これは現実的で確かな一歩だと思える。奄美の、奄美の人による、奄美のための副読本になってほしい。

 その余はといえば、一連のシンポジウムを通じて、沖縄は全体では低関心ながらも、一定の人々に、鹿児島は心ある個人に、本土は心ある個人とメディア関係者にとって、奄美は現出したのではないだろうか。その意味では小さな一歩を記したとも言えるし、日本の本格的な関心を喚起することはできなかったとも言える。しかし、発語の気配があったのは確かだと思える。

 ただ、残念ながら県としての鹿児島は、「沖縄・鹿児島連携交流事業」によって奄美を封印したまま400年の回収を図ろうとした。ではいったい鹿児島の市民はどう受け止めているだろう。それはぼくには分からない。従来、「苦労したのは鹿児島も同じよ」というところにとどまってきたと思うが、現在もそれは変わらないのではないだろうか。一方、奄美の人から本を出して何が変わった?何も変わらないなら出す意味はない。島に住まないのに言うなという批判の声も頂戴している。ぼくはこの声を好意的なものとして受け止めているけれど、こうした声すら鹿児島からは無かった。対話はまだまだこれからだと思う。

 今年、放たれたなかで最良のひとつだと思えるものに、弓削の言葉がある。

 奄美の歴史は、広範囲で深いので、個人的力量を高めることを前提として、疑問は疑問としつつ、いかに情報を共有するかが今後の鍵。一人で背負わないで、みんなが集まって勉強できるような状況が望ましいと思いますね。最近の岩多雅朗さんの地図の研究で見られるように。直裁、極端にいえば、奄美では「変な意味」の権威者はいらないと思っています。沖縄・東京・関西でも、新たにはっとするような愛着を持って奄美研究に取り掛かっている若い方々もおられます。内部だけで物事を考えてはいけない時代だと思います。また、図書館が史料を広く集める必要があります。(弓削政己「奄美の歴史を見つめ直す」『Horizon vol.30』)

 この、「奄美では「変な意味」の権威者はいらない」という言葉はとても奄美的だし、奄美の美質を捉えたものだと思う。そうあってこその奄美だ。すると、昨日ぼくは大島のリーダーシップ沈下と書いたけれど、それはいいことなのかもしれない。一方で、大島は唄者を排出し、音楽文化の華を百花繚乱に咲かせつつある、そうした都市的なフェーズに大島、とくに名瀬は入ったということかもしれない。

 むろん、それは二重の疎外の克服の一端だが、すべてではない。奄美は奄美だ。これまでそれは大島の台詞だった気がするが、その懐を徳之島も持ちつつあるかもしれない。400年のイベントの流れをみると、大島は大和化として表層が現れ、南の沖永良部、与論は琉球化として表現されてきるのかもしれない。奄美は島一つひとつの表情が違う。しかしこの違いは、二重の疎外とそれを解決しようとする現れの各様であり、二重の疎外を困難としていることについては、依然として共同体なのである。それをどう克服してゆくのか。そのテーマはこれからも続く。



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