「旅する文体」(「唐獅子」12)
28日の土曜日、浅草の神谷バーで開かれた、酒井卯作さんの『南島旅行見聞記』(森話社)の出版記念祝賀会にお邪魔した。
『南島旅行見聞記』は、柳田國男が沖縄、奄美を旅したときにつけていた手帳のメモに丁寧な注釈を施して本にしたものだ。このメモは後に、あの『海南小記』として姿を現す。つまり、『海南小記』の素には、柳田のどんな見聞が控えているのか、それを知ることができるのだ。
柳田は加計呂麻島で、「出逢う島の人の物腰や心持にも、まだいろいろの似通いがあるように思われた」。距離と時間と、「もうこれ以上の隔絶は想像もできぬほどであるが、やはり目に見えぬ力があって、かつて繋がっていたものが今も皆続いている」と、『海南小記』に書く。柳田はこれを三百年の時点で言うのだが、四百年の時点でも同様に感じ、奄美と沖縄のつながりを注視するぼくにとって、この一節は特に心に残っている。
柳田は何を見て「似通い」を感じたのだろう。そんな関心から『南島旅行見聞記』を覗くと、たとえば「カケロマ島呑浦のおくにて、路傍の川に薯を洗ひしおりの風体全く昔のまゝ、沖縄人と同じきもの」というメモがあり、「似通い」の一つはこれだったろうかと想いを馳せた。
『南島旅行見聞記』には、柳田門下の酒井卯作さんのエッセイが添えられている。そのタイトルは「旅する貴族」。官を辞した柳田というイメージは持っていたが、貴族のそれは無かった。しかし酒井さんは、格式の要る袴に白足袋という旅姿の向こうに貴族のイメージがあるのを教えている。酒井さんの「旅する貴族」は、官を辞した本当の理由に迫るところから、身近に肉声を聞いた人ならではの寄り添い方で柳田の素顔を浮かび上がらせる。ときに読者に問いかけ、道草をしながら、琉球に魅入られる過程に肉薄していくこのエッセイは、「旅する文体」だ。
神谷バーでの酒井さんはしきりにこんな本のためにと恐縮してらっしゃったが、八十を過ぎてなおかくしゃくたる姿に、歩いて考えてきた民俗学者の芯を見るようだった。
このところ四百年にまつわるイベントに神経を尖らせることが多く、勢い目の前に視野を奪われる。しかし奄美と沖縄の境界のない酒井さんの話は、こうありたい理想を見るようで安らぐ。多くの人が本を手にとってくれますように。(マーケター)
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