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2009/12/17

間をつなぐ言葉

 MT FORTUNEさんとツイッターで話していてふと、思った。

 いまの奄美は、大声で叫ぶことと沈黙とが共存している。両者は距離が大きいように見えるけれど、でも、同じなのだと思う。どちらも、叫びか沈黙によってしか語ることができないという点では。ぼくたちには両者をつなぐ言葉が必要なのだ。

 ところで、沖縄・鹿児島両県の知事による奄美大島での交流宣言とは、その大きくあいた間を通り過ぎることで実現させてしまったのではないか。そうなら、ぼくたちが避けなければいけないのは、この間隙を素知らぬ顔で、もう問題はない、いまさらと涼しげな顔で通り過ぎていかれて、なし崩しにされてしまうことではないのか。

 泣く子と黙る子、そこのけそこのけ、なし崩しが通る。

 今週末の「見えかくれする薩摩侵攻以前と 以後の奄美諸島」が、それにならないことを願う。


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