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2009/12/28

薩摩の琉球侵略400年を捉える 2

 そして、「大島代官記」の「序」が薩摩の役人の手になるものだということも、系図は少なくともその初回は、強制ではなく島役人からの差出であったことも、弓削政己が明らかにしたことである。それは他の場面においても同様で、400年の歴史シンポジウムの奄美パネラーといえば、ほぼ決まって弓削が登場していたことにも現れている。2009年は、図らずも、この分野における奄美の人手の希少さという課題が浮かび上がった。それは研究者という限定を加えなくても、奄美について考えるという意味で、ひろく奄美思想者について言えることかもしれない。

 ただ、ぼくはそのことで奄美を責めるつもりも自嘲する気にもなれない。それこそは、奄美が失語してきたことの現われだと思うからである。与論について奄美についてブログに書いているぼくですら、同じである。島尾敏雄が喝破したように、自分たちの島を「語るに値しない」とみなしてしまう傾向が身体性に深く食い込んでいる。ぼくも朝、目覚めたら、「語るに値しない」とみなす自分に戻っていて毎回、そんなことはないと思いなおすことから始めるような、そんな諦念なのだ。

 結果、手にされている史実が少ない。するとぼくたちは、400年経った現在においても、事実が分からないうちは何も言えないということと、事実が分からないのだから叫ぶしかないということのあいだに引き裂かれてしまう。実際に、前者は黙する奄美人として普遍的であり、後者はまるで抗議の声が叫ぶような怒りとしてしか受け止めらていないことに現れる。ときの経過で双方の気持ちに通じる奄美人は減り、それとともに両者の懸隔は大きくなる一方だ。両者をつなぐものは何か。それは事実だ。そしてその事実を、弓削は丹念に発掘している。そしてもうひとつ両者をつなぐのは、事実をもとにした仮説の構築である。それらはともに黙することと叫ぶことの間に、表現の手段を与えてくれる。それは、言葉である。

 両者は隔たるにつれ、黙する者は叫ぶ者を忌避するようになり、叫ぶ者は黙する者を意識が低いとみなすかもしれない。けれどぼくたちに必要なのは、両者はともに奄美的な失語にあるものとして同じであるという視線だと、ぼくは思う。

 両者の懸隔が拡大するような段階なのに、すでに琉球も薩摩も困難を抱えていたのは同様であるという視線も生まれて来た。これは、両者に対して等距離の遠方に視点を置けば当然、生まれてくるものだ。しかし、生傷が癒えていないのにどっちもどっちと言われたときのように、そのあまりの正しさにぼくは口をつぐんでしまいそうになる。

 また、当の奄美でも両者の懸隔の間隙を縫うように、というより大通りを歩くように大手を振って、「もう恨みごとなら言うのは止めましょう」(中島みゆき)ではないが、過去のことであると水に流すような視線も生まれている。ぼくは怒りを怒りとして表現することが奇異に見られることも、怒りとしてだけしか表出できないように見えることも、ともにとても哀しく感じるし、その構図自体が克服されるべきだと考える。


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コメント

おはようございます。

気持ちがすっきりする、ご意見です。
 
 両者はともに
奄美的失語なにあるものとして同じであると言う視線。
が何と無く解って来る様な気がします。

 その構図自体が克服されるべきだと感じる。     
 又、そんな事いう・・・。             泡くん「恨みごと言うのは止めましょう」       知れば知るほど  恨み言がでてくる        自分がもどかしい。

投稿: awa | 2009/12/29 04:06

awaさん

今日、島に着きます。お会いできたらうれしいです。

投稿: 喜山 | 2009/12/31 11:10

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