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2009/12/25

「09振り返って/琉球侵攻400年」

 朝日新聞が振り返りをしている。「09振り返って/琉球侵攻400年」(12月24日)。

 奄美群島にとって特別な1年だった。琉球王国に属していた奄美が薩摩藩に侵略されて400年という節目の年だったからだ。
 鹿児島、沖縄両県では歴史を検証するシンポジウムが盛んに開かれ、奄美の島々でも地元自治体や郷土研究会が主催するシンポが相次いだ。
 共通するテーマは「侵略という負の歴史をどう未来にいかしていくか」だった。

 激しく抵抗し島民に多くの犠牲者が出た徳之島では、「厳しい時代にあっても独自の文化を築いてきた先祖のたくましさに誇りを持とう」との提言があった。抵抗の道を選ばず降伏した沖永良部島では「外敵との争いをあえて避け、柔軟に未来を切り開いてきた」と島民性を評価する分析も示された。
 「負の歴史の克服」の難しさを象徴する場面もあった。11月、鹿児島、沖縄両県知事がお互いの交流を促進しようと宣言したときのことだ。奄美大島の会場前では、島民らが「400年前の検証をしないまま交流を進めることは歴史の隠蔽(いん・ぺい)だ」と抗議した。
 琉球侵攻の取材経験が豊富な沖縄県の地元紙記者は驚きを隠さなかった。「こんな光景に遭遇したのは初めて。沖縄では見たことがない」

 沖縄の記者は、本当はここが驚くべき箇所ではない。沖縄では薩摩の琉球侵略以降の琉球処分、沖縄戦、米軍基地など、問題は更新され現在的に変奏されている。奄美は、琉球処分、沖縄戦、基地を経験しているのに、それらを受け取り損ねているので、自らの課題になしえていない。そのため問題が薩摩の琉球侵略に集約して現れる。そうであれば、沖縄が問題を主題化して言挙げする力を持っているのに、奄美がいかになにごとによらず、沈黙しているかがわかるだろう。驚くとしたら、抗議に対してではなく、抗議行動がきわめて少人数でしか担われなく例外的な存在に追いやられること、過剰なほどに沈黙が支配的であることの方なのだ。

 それだから、今年のテーマは、「負の歴史の克服」というところにあり、「侵略という負の歴史をどう未来にいかしていくか」という表現ではふやけてしまうと思う。

 県外出身の私は、400年前の出来事の今日的な意味をどうとらえるべきか悩みながら取材した。
 奄美でのシンポでは、妙に鹿児島県本土に気をつかっているような行政関係者の姿勢に違和感を覚えることがあった。一方、「圧政に苦しんだ奄美」だけでは、未来につながる意義を見いだせないのではないかと疑問を持った。
 今月20日、奄美市で「400年」を締めくくるシンポがあった。今年、島内外の数多くのシンポで奄美代表として発言した奄美市の郷土史家、弓削正己さん(60)は、この1年を「奄美の人々の心にくすぶっている問題が現れ出てきた年だった」と指摘。「歴史的にきちんと検証する出発点にしないといけない」と、集まった130人に提起した。

 県外出身の方が取材に悩むのは当然だと思う。書いた方は、以前(11月26日)も、「奄美の受難 いま問う」という記事を担当していた。関心の目を向けてくれることには率直に感謝したい。

 県内出身だが遠くにいる者の目を通すとこう見える。「鹿児島県本土に気をつかっているような行政関係者の姿勢」はみっともないほどの日常であり、「圧政に苦しんだ奄美」だけは、それしかまだ声になっていない状況なのだ。対等な関係性を築きえていないからこそ、声は訴えに近くなるのである。

 そして20日のシンポジウムは、「「400年」を締めくくるシンポ」ではなく、年末に開催されたシンポジウムであり、そこに締めくくりの意味はない。むしろ、大島の方は市民参加ができるシンポジウムを年末まで待たなければならなかったのである。

 取材を通して再認識したのが、沖縄にも鹿児島にも属さない奄美の独自性と、江戸時代以降、外部の脅威にさらされ続け自らの足跡を振り返る間もなく現在に至っている島々の悲しさだった。
 奄美に30年近く住みながら民俗文化を研究してきた東京出身の研究者、高橋一郎さん(61)は「『歴史を総括すべきだ』という言葉が盛んに叫ばれたが、総括すべき主体は、ほかでもない奄美の人たちだ」と指摘する。
 「『400年』を一過性のイベントで終わらせてはいけない。歴史をどう検証していくかは、むしろ来年以降、奄美の人々に問われてくる」
 米軍占領からの日本復帰後、復興を名目として始まった補助金政策は、奄美の主体性を損ね、自立の気風を衰えさせてきた。島人(しまっちゅ)が、薩摩史でも琉球史でもなく、自らを主体とした歴史を再構築していくことが、誇りに満ちた奄美の風土を育むことにつながるはずだ。(斎藤徹)

 「沖縄にも鹿児島にも属さない奄美の独自性と、江戸時代以降、外部の脅威にさらされ続け自らの足跡を振り返る間もなく現在に至っている島々の悲しさ」という表現は核心に迫っていると思う。しかし、続く研究者の発言は局部的だと思える。今年、とても「歴史の総括」が盛んに叫ばれたとは思えない。これはたとえば、抗議行動が極めて少数になるがゆえに逆にメディア化されたときに目立ってしまうように、局所的なことを奄美全体へ拡張しているのではないか。「総括すべき主体は、ほかでもない奄美の人たちだ」という提言は、黙する大方の奄美の人には、さらに黙せよという内向への圧力として作用すると思える。

 400年のことは奄美だけでは完結しない。関係の構造のなかにあることだから、少なくとも、鹿児島と沖縄との対話によって成り立つものだ。そこに、いまさらもへちまもない。「薩摩史でも琉球史でもなく、自らを主体とした歴史を再構築」はその通りである。ただし、それは再構築ではない。構築の課題である。


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