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2009/11/26

週末の「琉球・山川港交流400周年事業」のこと

 「奄美と沖縄をつなぐ」イベントを反芻したいのだが、まだそういうわけにいかない。今週末の28日、29日に 「琉球・山川港交流400周年事業」が行われる。山川港は、薩摩が琉球に向けて軍船を放った港である。

 「琉球・山川港交流400周年事業」

 ぼくはこの事業を知って、市民交流に水を差すつもりはないが、黙する奄美に当て込んでなされるなら看過できないと、ほぼひと月前に書いた。

 「琉球・山川港交流400周年事業の趣旨」とは何か(10月21日)

 ぼくは、「五人番のアコウ」の由来である琉球へ里帰りさせ、交流を深めようとする鹿児島の市民の善意を疑う者ではないし、それ自体に水を指そうとは思わない。

 しかし、このイベントが行われる文脈については黙しているわけにいかない。ぼくたちはまたぞろ「奄美谷間論」におびえてしまう構図のなかに置かれている。しかし、それは黙する奄美にあてこんでなされるものだ。 ぼくたちは何が行われ、何が語られるか、注視しなければならないと思う。

 (中略)ぼくたちは、薩摩と琉球との間に、一方通行ではない相互浸透の交流があったことにほっとする。しかし、それならそれは、具体的な個々の文化交流に留めるべきものだと思える。「薩摩の琉球出兵400年」の名の元に行えば、大きく文脈を変えてしまうだろう。そこには大きな捨象が伴う。

 まず、「薩摩が琉球統治から得た莫大な資力」という史実のマクロ化で、「奄美」が捨象される。そして、「昔の人々の苦労を思い」という情への訴えかけのなかで、「加害と被害の構図」が捨象されるのである。

 kayanoさんはじめ、何人かの人がぼくにそう伝えてくれたが、その通り、「侵略」を「交流」に置換したすり替えである。またしても、ことの本質を隠蔽することで、薩摩は自己直視の機会を消そうとしている。「歴史の波濤を乗り越えて新しい未来へ舵をきろう!」などと言う前に、すべきことがあるのは言うまでもない。 


 しかし翌日、事業のプログラムを見て、懸念を膨らませることになった。

 「琉球・山川港交流400周年事業」のモチーフは何か(10月22日) 

 「琉球・山川港交流400周年事業」の趣旨で、「五人番で繰り広げられた歴史もアコウの来歴も、人々の記憶から消え去っていました」とあるのを見、薩摩の琉球出兵を植物の移植に回収する視線変更への疑念を感じたが、それはシンポジウムの構成をみたとき、さらに膨らむ。

 基調講演を原口泉が努め、パネルディスカッションのコーディネーターも彼が努めるという。原口泉とは何者か。ここで何度も見てきたように、彼は、奄美の困難の歴史を観光のネタに塗り替えて、薩摩史観を頬かむり的に延命することしかしていない。何度もなんども。その基調講演が頬かむりを越えた直視を可能にし、そのコーディネートが奄美を無視しないとは到底、思えない。いったい原口は何をコーディネートするというのか。最大の困難を奄美に強いながら、その黙殺の上に、時間の経緯をあてにして鹿児島と沖縄とのシェイク・ハンズを演出しようというのか。

 パネリストを見れば、鹿児島県と沖縄県の副知事が名を連ねている。ぼくたちはここでも披露感に襲われる。これは、5/2に行われた徳之島でのシンポジウムの縮小反復ではないのか。聞くところによれば、当初、徳之島は、尚と島津を招き歴史の転換を図ろうとした。あいにく尚は訪れず、島津だけが交流を呼びかけたのだが、今回は歴史上の人物の末裔ではなく、現政策担当者を招くということか。これは、歴史上の人物の末裔を招くのがお門違いであるのに対し、焦点は合っている。だが、資格はない。何の断りがあって「交流元年」などと言うのか。徳之島のシンポジウムでの尚と島津の共演の目論見も実現した島津の呼びかけも茶番をしか感じなかったが、今回はお茶濁しにしかならない。

 いかにそこで「交流」を標榜しようと、それを拒否する者もいることを忘れてはいけない。

 「拒否」、と語気は強く気負っている。とぼけているわけではなく、ことに接した時の身体の第一次反応を逃さないように保存するのが精一杯だから、自分が書いたものも忘れてしまう。ただ、改めて見ても、ここに書いたことを修正する気持ちにはなれない。市民交流の拠点を担うだろうブログ(「琉球・山川港交流400周年」)も、おとつい、ひと月半ぶりにやっと更新された。いやそれは問うことではないだろう。それより、21日に奄美大島で沖縄、鹿児島両県知事が「沖縄・鹿児島連携交流拡大宣言」を行ったその一週間後に、こんどは山川で、両県の副知事が列席するのを時系列で捉えれば、両イベントに関連や作為はないとしても、政治的な意味はおのずと生まれてしまう、そこには注視せざるをえない。

 ここに生まれるのは、直接支配の最大拠点だった奄美大島で知事が交流宣言を行った後に、こんどは侵略の起点で副知事が交流を具体化するというストーリーだ。これをシンプルに市民の交流事業と言うわけにはいかない。鹿児島の頬かむりを領導してきた歴史家が基調講演を行うのであれば、政治的な色彩はさらに膨らむだろう。

 ぼくは山川の近くに住んだことがある。開聞岳を臨み、桜島と異なるたおやかな稜線が描く曲線の地形は、彼の地の風土がその奥に押しやっている柔らかさを肌に感じさせてくれる。そこで開催されるものを批判したくはないが、市民交流の名を借りて、政治として「侵略」を「交流」に置き換える頬かむりには黙っていられない。何が語られ何が行われるのかを、見届けなければならないと思う。


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