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2009/11/27

「琉球人鎮魂墓碑、望郷の碑が完成」

 「琉球・山川港交流400周年事業」のブログ(「琉球・山川港交流400周年」)にも挙げられた記事。

 「琉球人鎮魂墓碑、望郷の碑が完成 指宿・山川港周辺」

 薩摩藩の琉球侵攻に伴い琉球と本土との交流の玄関口となった指宿市の山川港周辺に、琉球人鎮魂墓碑と望郷の碑が完成した。遠く離れた地で亡くなった琉球の人々を慰霊しようと、「琉球・山川港交流400周年」事業実行委員会が建立を計画。29日に望郷の碑がある愛宕山の戦没者慰霊塔横で除幕式を予定している。
 実行委によると、薩摩藩による琉球統治時代、同港には琉球から1000回近く使節船が来航したとの記録がある。遭難、客死した使臣も約500人に上り山川には琉球人墓地が多数あったが、1880年、福元墓地の一角に西南の役戦没者招魂塚を建立した際、撤去されたという。

 鎮魂墓碑は近隣の墓地の一角に建立。高さ約1.7メートル、で沖縄特有の墓石のデザインを一部取り入れ、沖縄の風習に合わせて紙銭(うちかび)を燃やす器も用意した。望郷の碑は高さ約1メートル。サンゴ石を使用し、沖縄の方角に向けて立てられた。「往還逝去琉球人望郷の地」と書かれた陶板を埋め込んだ。
 整備費用は合わせて約200万円で、現在集めている協賛金で賄う予定。

 「琉球・山川港交流400周年事業」実行委員会は市民団体だろうから?、市民同士であれば交流が可能なのだと安堵する。そう、市民同士なら難しくはないのだ、と。ただ、こうした鎮魂の想いが奄美に向けられることはあったのだろうかというさびしさも過ぎる。
 
 しかし一方、沖縄、鹿児島の両副知事が列席するように、ここに政治的な意思がかぶさるのであれば、ぼくは言葉にならない声で叫ばずにいられない衝動が、瞬間、こみ上げてくる。

 鹿児島が薩摩の共同意思を継続する者として、400年前に端を発した歴史を踏まえて、奄美に向けられたことのない慰霊を行う。しかも奄美に対しては、ことが終わらないまま継続しているのだから慰霊だけでは足りない、鎮魂では追いつかない。さらにそのことを、琉球人の鎮魂という、ぼくたちも心からそうしてほしいと願う題目で行われる。ここでも、黙殺は美名のもとに遂行されていく。二重に三重に言い知れない熱がこみ上げてくる。そのとき、生霊が乗り移るように、言葉にならない叫びを身体で聞くのだ。


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