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2009/11/13

「沖縄と鹿児島に何があったの?」

 ねえねえ、どうしておじちゃんはこの話題になると怒るの? おじいちゃんもこの話になると怖い。と言われた後に、小さな子に質問されてるみたいだ。「沖縄と鹿児島に何があったの?」、と。でも、この問いから始めなきゃいけないんだと思う。さまざまな400年イベントへの参加者が年長者に限られがちになるのは、このテーマへの接点が日常生活のなかでは希薄になっているのだと思う。

 「教えてニュース塾〈37〉沖縄と鹿児島に何があったの?」

 記事は、出兵の背景と歴史を伝えたあと、書いている。

 政権が豊臣から徳川家康に移ると、家康は琉球を通して明と交渉しようと考え、薩摩に琉球との関係を取り持つよう命じます。そこで薩摩は日本に漂着した琉球人を送り届け、家康にお礼を述べる使者(謝恩使)を派遣するよう求めました。しかし琉球は明との関係を考え、日本へ使者を出すことをためらい、送りませんでした。何度か催促した後、薩摩は武力で解決しようと考えます。そして1609年3月、薩摩は琉球に攻め入ります。琉球は抵抗しますが、日本有数の強さを誇る薩摩には勝てず、降伏しました。以降、琉球は奄美諸島を奪われ、対外的には独立国の形を保ちながら薩摩に従うことになります。

 ただ、「沖縄と鹿児島に何があったの?」と言われると、いつも「奄美」のことは捨象されてしまう。それなら、どういえばいいのか。たとえば、「琉球は奄美諸島を奪われ」というのだけでは足りない。ここは奄美を主語にして、奄美は、対外的には琉球に含まれるという対面を保ちながら、実は、薩摩の直轄領であることを強いられた。しかも、そのことは幕府へも内密であった。その含みに触れる必要があるのではないだろうか。というか、そこまで言ってほしいのである。

こうした歴史のせいか、鹿児島と沖縄はこれまで、隣県なのに交流が少ないと言われてきました。しかし薩摩侵攻400年の節目に、負の歴史を乗り越え、新たな関係を築こうという友好ムードがたかまってきました。すでに県内や奄美諸島では関連シンポジウムが開催されており、21日には奄美市で沖縄の仲井真弘多知事と鹿児島の伊藤祐一郎知事が「交流拡大宣言」を行うことも決まっています。長い年月をへて、ようやく両県の本当の交流が始まろうとしています。(高良由加利)

 そういう含みがないので、奄美で開催されるというこはアリバイにしかならず、実質、矛盾に蓋をすることのになってしまう。奄美での開催が奄美からの要望であり、イベントの中味にも市民が参加しているなら、別の意味を持つが、そういう声は聞こえてこない。「本当の交流」がこれでは始められるわけではないと思うし、始めたとしたら、またしても奄美は黙殺されることになるのだ。高良さんにはそれを伝えたく思った。


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