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2009/11/18

「『交流拡大宣言』の中止を要求する要請書」

 開催を今週末に控えているというのに、鹿児島県と沖縄県が奄美大島で行うという薩摩侵攻400年交流イベントの詳細が分からない。両県や奄美市のWebサイトを見ても案内はない。どなたかご存知であれば教えてほしいが、告知なしでことは進められているように見える。極秘裏とまでは言わなくても、なぜ知られないようにするのだろう。むろん秘密裏というところは、いかにも県としての鹿児島らしくて、さもありなんとは思ってしまうのだが。

 この交流事業、舞台を奄美大島に選んだということの意味は、画期的か破廉恥かの両極にぶれる。このイベントの報を聞いたときのぼくの第一次反応は、破廉恥、だったが、それが誤解なのかどうかも今のところ判断がつかない。内緒で進めているので苛立たしさが募ってしまう。

 市民不在のものだったらすべきではないだろう。まして、奄美の人が求めているのでなければ、奄美大島を舞台になぞ、すべきではない。それは、奄美の気持ちを踏みにじる行為であり、大和と琉球の矛盾に蓋をすることである。薩摩の琉球出兵がもたらした困難は、過去ではなく、現在も続いているからだ。そのことを、県としての鹿児島が知らぬはずがない分、ひでえことしやがる、と思わざるを得ない。

 そんな中、あまみ庵の森本さんから、「『交流拡大宣言』の中止を要求する要請書」をもらう。以下、全文、引用する。ぼくが書くとしたら、違う書き方をすると思うところはある。しかし、何かをせずにはいられない切迫感は共有するものだ。


                      2009年11月18日(11/20更新)
鹿児島県
伊藤祐一郎知事 様

        「沖縄・鹿児島連携交流事業」における
      「交流拡大宣言」の中止を要求する要請書

                    「交流拡大宣言」の中止を要求する会
                                 代表 仙田隆宣
                             鹿児島市坂元町38-3

                                  他賛同団体
                         中止を要求する喜界島の会
                         中止を要求する徳之島の会
                        中止を要求する沖永良部の会
                           中止を要求する与論の会
                       中止を要求する鹿児島住民の会
                        中止を要求する沖縄住民の会
                        中止を要求する関東住民の会
                        中止を要求する関西住民の会
                   中止を要求する琉球弧の先住民族の会

1【項目】

 私たちは、「沖縄・鹿児島連携交流事業」における「交流拡大宣言」の中止を断固として要求します。

2【理由】
 11月21日、鹿児島県知事と沖縄県知事による「沖縄・鹿児島連携交流事業」が行われると聞いています。
しかし、島津軍による武力侵略から400年の今年、奄美の地でそれがなされることには深い違和感を覚えざるをえません。
 1609年の琉球侵略に伴い、奄美の島々は琉球国の領土から転じて、薩摩藩の隠された直轄地となりました。明治期に鹿児島県に編入されてからも米軍政下の8年間を除いて現在に至るまで、この奄美が本土統治下に置かれ、差別と収奪の対象にされていたと見ることができます。

 私たちは、加害者と被害者の立場の違いによって歴史の評価は大きく異なることを学んできました。
 為政者側からの歴史は、徳之島犬田布(1864 年)において無実の罪で拷問された「為盛」救出が「騒動」であり、母間(1816年)において無実の罪で投獄された「喜久山」救出と薩摩藩直訴もまた「騒動」でしかなかったのです。
 斉彬の近代化政策とは奄美の人々を酷使し、餓死させた政策であり、これを推進した行政改革者・調所広郷の改革とは大阪商人からの500万両の借金踏み倒しと偽金作り、密貿易、奄美諸島の民衆を奴隷と化した黒糖収奪でありました。今の時代なら極刑であります。しかし、斉彬と調所は薩摩のヒーローとして鹿児島の歴史学者は賞賛しています。

 薩摩の奄美・琉球侵略を「不幸な歴史」と精算し、過去の歴史を隠蔽し、蓋をすること、謝罪すべきことを「交流」と称し、奄美を愚弄することを奄美の民衆は許すことはできません。
 今、やっと奄美の人々が言葉を発する時代(とき)が来たと、私たちは考えてきました。そこへまたもや亡霊のように薩摩と琉球が立ちはだかるとしたら、我々の先祖は地の底から這い上がり、きっとこう叫ぶでありましょう。

 「武器を持たぬ豊かな恵みの島を襲った島津軍、黒糖地獄、あの苦しみを忘れろと言うのか!餓死した同胞は今も山中に、海岸に骸となってさまよっているのだ!今もなお薩摩代官のごとく島ん人を見下す輩がいるのがみえないのか!哀しいことだ・・・」と。
 薩摩の奄美・沖縄侵略を契機に奄美の人々のアイデンティティは末梢され、「薩摩であって薩摩でない、琉球でなくて琉球の内」として扱われてきました。

 明治の世、黒糖は自由売買の世になりましたが、鹿児島商人(大島商社等)は専売によって暴利を貪ってきました。そして、自由売買嘆願の一行は投獄され、一部の人々は西南戦争へ従軍。疲弊した奄美は、県議会によって「遥かに遠い絶海の離島で文化も違う」と異端視して切り離され、屈辱的な差別政策である「大島独立経済」を強いられてきました。さらに敗戦後、奄美の島々は米軍統治となり、1953(昭和28)年12月25日、やっと我々は薩摩侵略以来の自由を取り戻したかに見えました。しかし、これも鹿児島の官僚政治で、奄美群島振興開発特別措置法という鹿児島県と本土企業の利権を誘導するための事業と化し、奄美の貴重な自然を食い物にするだけの形を変えた植民地政策となっています。こうしたアメとムチの時代がまたもや奄美を沈黙させているのです。
 薩摩と奄美は永遠に「侵略、略奪」する側と「奪われ、生殺与奪の牛馬のごとき」関係でしかないのでしょうか!

 しかし、奄美の人々は島人(シマンチュ)としての誇りを捨てることはありませんでした。私たちは、長い苦難の時代にあってもシマの生活と文化を守り、誇りを失わずに歩みを止めなかった先祖を尊敬し続けてきました。
 それ故、私たちには、絶滅寸前であるといわれている奄美の島々のシマグチやシマウタなどを始め、文化や歴史、自然まるごと奄美のアイデンティティとして継承する義務と責任があります。今、薩摩に同化されることはそれらを失うことになります。

 私たちと志を同じくする「三七(みな)の会」は、こうした意志を表明するため、本年9月、鹿児島県議会に「郷土教育に関する陳情書」を提出し、鹿児島県と奄美に係わる歴史教育の必要性を促しましたが、継続審議となりました。

 奄美侵略400年を機に、鹿児島県でも奄美に対する歴史の検証と総括、これからの歴史教育への取り組みを含め、真摯な取り組みが開始されるものと期待していました。
 鹿児島県民の中で、奄美と薩摩の過去の歴史を知るものが、果たして何人いるでしょうか。鹿児島県知事は、その歴史を語ることができるでしょうか。

 鹿児島県及び鹿児島県知事は、2009年の今回の計画において大きな過ちを重ねようとしています。それは、第一に、鹿児島県民に奄美の歴史を広く知らしめる責にありながら放置していること、第二に、その歴史と現実を「沖縄・鹿児島連携交流事業」という美名で隠蔽しようとしていること、そして、このイベントを今日、現在においてすら奄美の住民に告知せず、開催しようとすることなどであります。

 奄美と鹿児島県の歴史を語らず、逆に奄美の住民感情を黙殺するに等しい計画に対して、私たちは、400年前の1609年、島津藩の奄美侵略によって数百名余もの命が奪われた先祖の無念を思うとき、「無神経にも程がある!」「恥知らず!」と耳障りになるような言葉を投げかけるほかないのです。しかも、こうした歴史に目を閉ざし、それらの歴史的事実がさも無かったかのようにして、この計画を奄美の地で行うなど、言語道断であり、これは時期尚早という以前の問題であります。なぜなら、今日に至るまで奄美と鹿児島県との400年間の歴史認識(検証と総括)の問題はなに一つ解決されていないからであります。

 このようなことから、私たちは「沖縄・鹿児島連携交流事業」における「交流拡大宣言」の中止を断固として要求します。

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コメント

 このイベント、まったく地元ではポスターすら見ません。
 奄美市のホームページに掲載されているPDF(これぐらいPDFにせずに掲載してもいいと思うんですが)を見る限り、”市民の皆さんもご参加下さい”とあるのですが、上で決まったことを見に来い!といった感じしかしませんね。
 11月21日って奄美市市長選挙の前日です。
 まさか、現市長はこれをもって最後を飾って最短で新市長が決まるように辞職したのか?と思ったり。

投稿: mizuma | 2009/11/18 11:42

先月この件を知って、鹿児島県庁に問い合わせしましたが、『沖縄県庁主導でやってるイベントなので、内容はよく分からない』、沖縄県庁に問い合わせしたら『担当者不在でご説明できない』でした。
少なくとも島で生活している方々に説明なり、根回しはしていると思っていましたがここに至っても何もないのですか、驚きです。

疑問に感じる島の人たち(鹿児島本土在住の方も含めて)がいても、現在は経済活動で鹿児島と密接な関係にありますし、縁戚関係も少なからずあるでしょうから、いがみあうことを避けるために沈黙することが容易に想像つきますよ。
“あきらめ”や“無力さ”を実感し、“大きなものには巻かれ”れば良いことを確認するイベントになることでしょう。

普段、表に立って鹿児島や沖縄、奄美の交流の活動していらっしゃる政治家・経済家・言論人の方もこういう件に関しては声を挙げませんね。鹿児島や沖縄と奄美の既得利権(既得人脈?)がある方たち(島の方も含めて)は沈黙してやり過ごすのでしょう。どういう方がどういう発言をし、どういう活動をしたかは自分なりに確認して記憶させていただきますよ。

投稿: Gacchiko(syomu) | 2009/11/18 18:51

mizumaさん

おかげでpdfがあるのに気づきました。ありがとうございます。

たしかに邪推したくもなりますよね。

投稿: 喜山 | 2009/11/18 22:13

Gacchiko(syomu)さん

ぼくも鹿児島に縁戚は多いわけです。

ぼくは、個人と県は区別しています。この区別がなければ言えなくなってしまうわけですが、区別していかないと先を切り拓くこともできません。

しっかり見ていきたいですね。

投稿: 喜山 | 2009/11/18 22:16

この企画は新聞紙面で初めて知りました。
交流拡大そのものは私もよいと思います。

奄美市民なので何もこの時期に~って思います(汗)。
知事日程なのでかなり前から段取りはされていたのでしょうが…。


沖縄県サイドのサイト見つけました。
http://okinawa-ric.jp/news/7008.html

沖縄出身者の立場から感じることは、
これだけを見れば、400年の節目をあえてここで言わなくてもよいような気がしました。

あくまで推測ですが、沖縄側の感覚からすれば奄美開催地は奄美へのラブコール的な意味あいがあったとかもしれません。

しかし400年という時間軸の中で鹿児島が絡んでくると奄美側がどう受け取るかという心情に対して、沖縄サイドも皮膚感覚として感じにくいのかも…。

きっとこの反応に沖縄側はかなりの温度差を感じるはず…。
鹿児島県としてはその図式を利用みたいな…。

奄美は今もその構図を引きずっているから、沖縄は400年前だけど、奄美にとっては生傷。

まして今月22日の奄美市長選はその歴史に最初の楔を打つほどの大きな意味があると思います。

なので選挙の前日にこれがあることも、歴史の因縁のように見えるのは私だけでしょうか…。

投稿: tamago | 2009/11/20 00:54

> まにゅ ヤカ

「交流拡大宣言」の中止を要求する要請書を提出した・・・というニュースを知って、
その内容が知りたいとイロイロさがしてましたら、こちらで見つかりました。
おかげさまで大変参考になりました。

ミッシーク トートゥガナシ。


投稿: Bananamuffin | 2009/11/20 13:29

tamagoさん

ありがたい解説、ありがとうございます。理解が深まった気がします。

> しかし400年という時間軸の中で鹿児島が絡んでくると奄美側がどう受け取るかという心情に対して、沖縄サイドも皮膚感覚として感じにくいのかも…。

はい、そうだと思います。
奄美から沖縄への言葉もなければならないのだと思います。

投稿: 喜山 | 2009/11/23 12:04

Bananamuffinさん

こちらこそ。おかげで宣言をすぐに知ることができました。とうとぅがなし。

投稿: 喜山 | 2009/11/23 12:05

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