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2009/11/28

「奄美の受難 いま問う」

 前利さんに26日の朝日新聞記事を送ってもらう。「奄美の受難 いま問う」、「『黒糖地獄』の島、未来みすえ」と題された記事。

 薩摩藩による琉球侵攻から400年になる今年、鹿児島、沖縄両県で歴史を検証する催しが盛んに開かれている。今月は帝展知事が交流拡大宣言をした。ただ、「黒糖地獄」に象徴される苦難の歴史を歩んできた鹿児島・奄美の島民からは「侵略の歴史が総括されていない」との声も出ている。400年前の出来事を未来にどうつなげていくか、南の島で模索が続く。(斎藤徹)

 全国紙で取り上げてもらうのは嬉しい。それに茶々を入れる必要もないのだが、でもぼくたちは「模索」しているのではなく主張しているのであり、異議申し立てをしているのである。

 「真の隣人として関係を新たに構築するとともに、未来に向けて交流を拡大し、相互の繁栄を目指して協力することを宣言する」
 奄美大島で21日、沖縄県の仲井真弘多知事と鹿児島県の伊藤祐一都知事が「沖縄県・鹿児島県交流拡大宣言」に署名した。宣言には「薩摩による琉球出兵・侵攻400年という節目を迎え、過去の出来事や成果をしっかり踏まえる」という前置きがあった。

 「成果」って何だ? 「過去の出来事が過去にならず現在も引きずっている問題」というなら分かるが。

 宣言は真知事が伊藤知事に持ちかけたことで実現した。奄美市で沖縄との交流を進める民間ボランティアの花井恒三さん(62)は「節目の年に奄美で宣言がなされたのには感動した」と話す。

 ほんまかいな(苦笑)。この声がいったいどれだけの奄美の声を代弁しているというのだろう。

 だが、会場外では島民ら約10人がプラカードを掲げて抗議を繰り広げていた。「奄美の歴史にふたをするな!」「奄美をバカにするな!」
 奄美大島で薩摩軍に殺害された島民を弔う慰霊祭を毎年開く元教諭の薗博明さん(75)=奄美市=は、鹿児島県が明治以降もサトウキビから作る黒糖の収益を独占し続けたことや、奄美の予算を県予算から分離し、経済的に切り捨てたことを忘れてはならない歴史だと指摘する。
 鹿児島と奄美のいびつな関係を正常に戻すためにも、鹿児島県は自らの歴史を総括すべきだ」
 こうした声に対し、伊藤知事は「歴史はいろんな見方があっていいと思う。お互いの交流の中で解決していけばいい」と言う。奄美同様に侵略された側の仲井真知事も「過去ののあつれきが今後の課題を克服していく大きなエンジンになるのでは」と話す。

 「歴史はいろんな見方があっていいと思う」だと? 寝とぼけたものだ。そもそも、「色んな見方」を封じるのがきみが引き継ぐ県の政治意思ではないか。

 「しわじゃ、しわじゃ うぎ切りしわじゃ うぎぬ高切り札はきゅり」
 鹿児島・喜界島で14日、地元の郷土研究会のシンポジウムがあり、島の高校生が薩摩藩支配下で生まれた悲哀を歌詞にした島唄「糸繰り節」を歌った。歌詞はサトウキビを根元から高く切ると薩摩役人から罰せられるので心配だ」という内容だ。
 研究会事務局の北島公一さん(60)は「特に島の著者に、先人の苦労やたくましさを知ってほしいと思い企画した」と語る。「大事なのは、歴史をこれからの未来にどうつなげていくかだと思う。過去を知ることで、島おこしのきっかけになれば」

 その通りだけれど、奄美の困難を「黒糖地獄」に収斂させるのは、問題の部分化だということを見落としてほしくない。「先人の苦労やたくましさ」にしても、その「たくましさ」はただ、生き残ることを主題にしてきたそれである。

 この記事は伝えないが、沖縄県と鹿児島県の交流事業が、その内容をほとんど知らせることなく、まるで秘密裏に進めてきたことには触れていない。こうした経緯そのものがことの本質の一端を教えている。


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