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2009/11/21

「どっちもどっち」、ではない

 南日本新聞(11月20日)に「沖縄・鹿児島連携交流事業に思う 大和・琉球 両文化を吸収 奄美は「結節」の拠点に」(福島義光)と題した記事が載ったという。あまみ庵からの転載だが、全文引用する。

 今年は薩摩藩の琉球への侵攻から400年。21日には奄美市笠利の奄美パークで「沖縄・鹿児島連携交流事業」があり、伊藤祐一郎鹿児島県知事と仲井真弘多沖縄県知事が「交流拡大宣言」をする予定と聞く。

 会場となる笠利は、琉球王朝と薩摩藩のいずれの支配下でも、奄美統治の地元官庁所在地として政治の中心地をなしていた場所である。従って今回の両知事の行為を、地元目線で表現すれば、「旧支配者同士の旧領地現場での会談」となるのである。

 奄美では、薩摩藩による砂糖地獄に象徴される過酷な収奪ばかりが強調されるが、それ以前の琉球治世下でも「無税の理想郷」などではなかった。沖縄の泊港には奄美からの米の収税をつかさどる「泊御殿」があり、奄美での現地役人に集めさせた米を収納する「大島倉」も存在していた。

 奄美の民族(民俗?)行事の中に女性祭祀集団であるノロの祭りがある。彼女らノロは「稲作儀礼」である祭祀を執行し、「祭政一致」の琉球王国を支えていたとされる。集落のいくつかには、祭りのための免税地である「ノロ田」があったが、周囲の土地は課税地として王府へ納税し、琉球王朝の絢爛豪華な文化を支えた。海外との中継貿易と中国への朝貢貿易が強調されるあまり、領内での「収奪」を見逃しがちである。

 首里城の周りには、王府の「衣食住」の作品を制作する大勢の「専門職人群」が配された。彼らを賄う膨大な費用を確保するには、領内末端の納税者への「稲作の精励」が欠かせなかった。そのための「稲の豊穣」の祈願であり、それこそがまさにノロの政治的役割であった。決して集落民のための「稲の豊穣」を祈願していたわけではなかったと思うのだ。

 薩摩ばかりが「収奪者」扱いされるが、奄美の者にとってみれば、どっちもどっちだ。「奄美からの視点」で言えば、その間を通じて島民は「双方への税の供給源」としての位置づけに押しとどめられていただけなのである。

 奄美は過去の歴史のように両者が代わる代わる足を乗せる「踏み台」なぞではなく、これから将来にわたっては、双方を「結節」するのに欠かせない最重要地点となり得るといいたい。

 なぜなら、奄美には今でも大和文化と琉球文化が混在しており、両文化を吸収、租借してきた懐の深さを持つ。また地図上で奄美を中心に同心円を描くと、東京と同じ距離に東南アジアがあり、中国大陸も多くが含まれることに気づく。これから到来するであろう中国を中心とした「環東シナ海」経済の時代に、必ずや奄美にしか担えない貢献をするものと思う。

 ともあれ、会場を提供する奄美への「配慮」が、両者の言辞と「交流拡大宣言」にどう表記・表明されるのか。注目して見届けたいものである。(おわり)

 いったい、「薩摩ばかりが「収奪者」扱いされるが、奄美の者にとってみれば、どっちもどっちだ」と言えるのは、どういう視点だろう。それは、琉球、奄美、薩摩に対しての距離が等しくなるほど遠点か、原口虎雄が重石として置いた薩摩に対すること挙げを抑圧する視点か、だ。

 「どっちもどっち」ではないから、ぼくたちはこと挙げをしているのではないのか。「どっちもどっち」が、みんな同じだったというところまで均質化されれば、すべては過去の歴史であり、イベントはただの儀礼になる。あるいは、「どっちもどっち」が、薩摩と琉球の支配は「どっちもどっち」だがそれは他地域に比して過酷であったとするなら、こと挙げをする動機を得るが、その際、ぼくたちは、薩摩(鹿児島県)と琉球(沖縄県)の双方に対してこと挙げをするだろう。しかし今回はそのどちらでもない。

 薩摩の奄美支配が特異であり、それは現在まで継続している部分があると感じるから、まず、県としての鹿児島にこと挙げをしているのである。「奄美では、薩摩藩による砂糖地獄に象徴される過酷な収奪ばかりが強調されるが、それ以前の琉球治世下でも「無税の理想郷」などではなかった」などと言うが、琉球支配下が「無税の理想郷」ではないのは当たり前ではないか。薩摩と琉球は有税で同じだったというのなら、何も言ったことにはならない。薩摩の黒糖収奪の徹底度と二重の疎外というモノとコトの収奪を、固有性として抽出し、それがなお永続化していることを問題としているのである。

 「無税の理想郷」というのは、「那覇世はよかった」という古老の言葉を引用しているのだろう。原口虎雄もこんな古老を言葉を引いた上で、「理想郷」ではなかったと強調していた。歴史書において、なぜ古老が史実として主張しているわけでもない言葉を引き、それを否定しなければならないのか。それはむしろ、自分が経験した時代のことでもないのに、思慕を抱かせるのはなぜかという心理的、民俗的な関心として取り出すべきものだろう。そこで、わざわざ「「無税の理想郷」などではなかった」と言うのは、薩摩への批判に蓋をする抑圧として機能するのである。

 「会場を提供する奄美への「配慮」が、両者の言辞と「交流拡大宣言」にどう表記・表明されるのか。注目して見届けたいものである」などという呑気な場所に、ぼくたちは立っているわけではない。


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