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2009/11/10

「不分明の文化」

 甲東哲(きのえとうてつ)は、奄美の文化の特徴を「堺がはっきりしないこと」と捉えている。

「この境がはっきりしないということは、奄美の文化の特徴ではないかとぼくは思うんだ」
「もっと具体的に言ってくれ」
「第一に自然がそうだ。夏は格別として、春、秋、冬はけじめがはっきりしない。例えば、島の一月末は冬であると同時に、秋の終わりであり、春の初めである。寒さにふるえた翌日、額に暑さを覚えるほどの好天気が突然訪れることもある。庭の隅では菊も咲き、すみれも咲いている。本茶峠などを通ると、はぜの木が真赤に紅葉している近くで桜が咲いている」
 「なるほど」
「それからあの珊瑚礁だ。ある時間ふと気がつくと、広大な平地が海中に出現している。三月頃は人だって大勢出ている。そこは島民の大切な蛋白源でもある。珊瑚礁があることによって、海と陸との境界がぼかされているとも言える」

 「境がはっきりしない」ことの根拠が珊瑚礁に行きつくのは、ぼくにはとても自然に思える。それは松山光秀のコーラル文化圏の思想にも共有されているものだ。

「要するに、けじめがないということなのか」
「けじめがない、ということばには、それはいけないことだという決めつけがあるような感じがする。けじめのないことの気楽さ、温かさだってあるし、けじめをつけることの窮屈さ、冷たさだってない訳ではない。ここでは、良いとか悪いとかということからは一応離れて見ていきたいと思う。そのためには、価値判断の付いていないことばを探さなければならない。ぼくは、境界がおぼろだという意味で『朧界性の文化』と名付けたのだが、これは残念ながら字が難しい。それで『不分明の文化』と秘かに命名している。これで奄美の事象の大半は説明できるような気がする」

 甲は、境がはっきりしないことを、「不分明の文化」と命名している。甲はこれを価値判断として言わないよにしたいと言っているが、よくわかるにしても、ぼくたちは不分明さを奄美の困難と捉えているわけだから、それを固定化してしまわないかという危惧はよぎる。

 そこで、というわけではないが、ぼくは「不分明」をさらに進めて、境界無化の力を与論島クオリアの極限に思い描いてきた。これは直感の言葉で、「朧界性の文化」というのと同じようにわかりいいとは言えず、課題として持ち越したままだ。「境がはっきりしないこと」を積極的に見ようとしている、と補足することはできるけれど。

『わが奄美考―奄美の心・方言・島唄』

Wagaamamikou

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