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2009/11/12

「沖縄の発見」(「唐獅子」10)

 祖母やパラジ(親戚(しんせき))の話しぶりから抱く沖縄への思慕が親近感に変ったのは、80年代の後半から90年代にかけてだった。具体的にしてくれたのは、りんけんバンド、『おきなわキーワードコラムブック』、映画『ウンタマギルー』だった。

 西武百貨店池袋店の屋上で、初めてりんけんバンドのライブを観(み)たときの衝撃は生々しく覚えている。知らないはずの音楽なのに、琉球音階のメロディーとリズムは、好きだというのでは足りない、血が騒ぐほどに響いてきた。そして、歌われる言葉がある程度分かり、親近感が増す。初期のコピーの、「すみやかに沖縄の逆襲が行われんことを」というフレーズ(だったと思う)は、胸がすくようだった。

 『おきなわキーワードコラムブック』は、沖縄のことが書かれているにもかかわらず、言葉や出来事に共通性があって自分たちのことを読むように楽しめた。まぶい組の組長、新城和博が同い年だと分かって同世代的な共感も加わる。つながっている、と思った。沖縄を「沖縄」でもなく「オキナワ」でもなく、平仮名で「おきなわ」としたのも理解しやすかった。ぼくもまた、「与論」でも「ヨロン」でもなく、「よろん」と表現したい欲求があったからだ。「まぶいぐみ」に込められた意味も、ぼくにも必要なことに思えた。

 そして映画『ウンタマギルー』で、親近感は一体感まで高まった。言葉や音楽への親近感だけでなく、高嶺剛監督がその向こうに描こうとした、琉球の聖なるけだるさ、「オキナワン・チルダイ」は、それこそぼくの場合は、与論の本質として感じているものだ。それは、「アマミヌ・チルダイ」と言ってもいいもので、まさに琉球弧そのものを見るようだった。言ってみればそれは、人が動物や植物の言葉を解する世界のことだ。ぼくはもちろん話せないけれど、祖母の振る舞いはそうだとしか思えないものだったし、かすかではあってもぼくの身体もそれを知っている、そう思えるからだ。少なくともその気配をぼくは与論で感じてきた。

 これらがぼくにとっての沖縄の発見だった。しかしそこから同時に、そこに奄美は含まれないというメッセージも受け取り、それが今の「奄美と沖縄をつなぐ」というテーマにも底流している。


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