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2009/10/10

『薩摩藩士朝鮮漂流日記』1

 前利さんに勧められた『薩摩藩士朝鮮漂流日記』は、確かに面白かった。

 ここでいう漂流日記は、1819(文政2)年7月に、沖永良部島の代官勤務を明けた薩摩の代官を始めとした一行25名が、朝鮮半島に漂着し、漂流民送還制度を頼りに、釜山湾の一角にある対馬藩の出先機関である倭館に辿りつき、対馬藩役人に引き取られ、対馬行きの船に乗るところまでの日記である。日記の著者は、代官付の安田喜藤太。

 6/14 永良部島、出船
 7/03 漂着
 7/26 漂着地を出発
 1/14 対馬へ出発

 この後、一行は対馬から長崎に渡ったことまでは分かっている。しかしそれ以降、薩摩までの足取りはつかめていない。日記は「前編」とあるが、「後編」の行方はいまだ知れないのだという。

 安田義方『朝鮮漂流日記』のおかげで、ぼくたちはいままで断片的にしか知らなかった漂流後の消息を詳しく知ることができる。とりわけ朝鮮人との具体的な交流の内実が豊かだ。ぼくは、執拗に繰り返される事情聴取、筆談のもだかしさ、詩文を贈答しあおうとしたり煙草を分けてもらったり、上役の命が届かないと何事も進まない今と変わらないお役所の融通の利かなさや、にもかかわらず育まれてゆく友情といった、人間的な交流のさまが興味深かった。やはり、人と人。心は通う。

 この人間的交流の側面は、著者の池内にはこの本を書く重要なモチーフになっていて、「近世日本人と朝鮮人の相互認識かや文化交流に関わる具体的な声を掘り起こし」、ステレオタイプな「相互不信」という言葉には収まりきれないことを明らかにしようとしている。そしてそれはこの本から素直に受け取ることができるものだ。

 そして、庇仁県監尹永圭とのあいだでは、たがいに自身の拠って立つ文化のほうが相手のそれより優越するとした一方的な姿勢ではなく、共通する上位文化として中国古典を置き、そこから派生した朝鮮と日本の文化それぞれを比較させ、それぞれを尊重しつつ相互理解を狭めていく姿が印象的である。これに対して、張天奎・金達秀ら下級官吏とのあいだでは、酒や煙草を呑みながら膝を突きあわせての談笑が特徴的である。文化的な共通性にも階層差が反映されているというところだろうか。

 実際、この漂流日記は、安田義方と尹永圭の友情日記と呼んでも差し支えない内実を持っている。
 ところで池内は、交流を五つに類型化し、このうち倭学訳官の趙明五とだけは最初から最後までよい関係が結べなかったとしているが、ぼくは、この趙明五とのやりとりは話として面白かった。

 安田が初対面の礼を日本語で述べると、訳官は「はじめて、はじめて」と日本語で応じた。そこで漂流からこんにちに至る経過を説明すると、「左様でござります」と日本語で答えた。次いで、船の傷みが深刻なため貴国の恩恵を得て帰国したいと述べると、訳官はやはり「左様でござります」と日本語で答えた。そののち何を説明しても、訳官の日本語は「左様でござります」しか聞こえなかった。安田は一生懸命に耳を澄ませてみたが、まるで分からなかった。訳官の日本語は日本語としてはまるで体をなさず、聞き取れるのは「左様でござります」だけであった。対談を船頭勘右衛門に代わってみても、やはり勘右衛門にも理解不能だった。

 延々と続く事情聴取と遅々として進まない筆談に辟易し疲れてもいた安田はじめの漂着民は、通訳の登場に歓喜するのだが、それが要を得ない。通訳なのに筆談さえ覚束ない。以前の漂流記をあんちょこに、チラチラ覗き見しながら対応する当たり、漂流事件の扱いにも不慣れらしい。

 そればかりか、上陸の許可も出そうとしない、浸水も激しい船の破棄と朝鮮船での送還にも応じようとしない。応じることにした後は、送還費用の請求する。最後、趙明五は「送還費用を名目として金品を受領する」のを目論んで失敗したのだと、池内はこれを称して「珍問答」としている。

 もちろんぼくは「相互不信」を強調したいのではなく、この狂言回しのような趙明五の役回りが、漂流劇をよりドラマにしていると思える。言い換えれば、やりとりがコミュニケーション不全にもかかわらず人間的なのだ。

 ところで池内が案内しているように、この朝鮮日記の挿図はインターネットで閲覧することができる。本に載せられている以外のものも、しかもカラーで。

 住田文庫

 これは確かに興味深くて、安田の薩摩武門らしからぬ?絵心がある。いやでもこれは偏見で、名越左源太がそうであるように、こうした繊細さも持ち合わせていたのだろう。本にも載っているが、友情を育んだ尹永圭も、安田は描いている。

 尹永圭(右の人物)


    『薩摩藩士朝鮮漂流日記 「鎖国」の向こうの日朝交渉』

Tyousenhyouryuunikki

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