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2009/10/24

「琉球王国がわからん!」

 この400年の節目で強調されているのは、王国としての琉球の主体性だ。10月15日の朝日新聞の「ザ・コラム」(外岡秀俊)でもそのことに触れている。

 以前なら、琉球が中国風の装束を強制され、見せ物のように「ヤマト」の視線にさらされた「屈辱の歴史」を強調していただろう。
 ところが今回の展示では、琉球使節団が、当時最先端の衣装や音楽を携えて各地で歓迎されたことや、琉球側も日本から、多くの情報や文物を吸収したという「交流」の側面に光をあてている。
 「過酷な支配にあえいだ沖縄」という単純な図式ではなく、沖縄側も、王国の体裁を保ちながら巧みに外交力、文化力をみがいた」という新しい見方だ。

 「近世では、日中両方に帰属することはマイナスではなかった。江戸幕府は『お国柄』だとして琉球が中国に朝貢することを認め、そこから中国情報を吸収した。薩摩も琉球を従えることで幕藩内の地位を高め、むしろ朝貢を勧めている。琉球側も『中国カード』を使いながら巧みに王国を守った」
 そう語るのは、展示に協力した琉球大の豊見山和行教授だ。同じく琉球大で王国の歴史を長く研究してきた高良倉吉教授がいう。
 「軍事力などハードルワーを持たない琉球は、外交力を使って薩摩を対中運命共同体に引き入れ、利用した面もある。踊りや織物など、沖縄文化の多くも、薩摩支配下の270年で培われた」

 琉球弧の根拠としての琉球王国に永遠性はないが、関係論からその歴史をほぐすのには意味があると思える。どうしてこういう観方は出てきたのか。

 ソフトパワーで、日中二つの大国と巧みに渡り合った王国。そんな新たな琉球像だ。なぜ歴史が見直されるようになったのか。
 戦後、米軍統治下に置かれた沖縄では、日本から分離策をとる米軍に対し、祖国統一論に立って復帰運動を続けた。「そんな中で、独立王国・琉球を研究することが、研究者の間でタブー視された面がある。今はなってようやく、王国を客観的に振り返ることができるようになった」と、琉球大名誉教授の比屋根照夫氏はいう。

 言い換えれば、日本へ復帰して、琉球王国を正面から研究できるようになったということだろう。ぼくは、400年のタイミングが琉球王国の主体性見直しと重なっているのは、近代民族国家の衰退を背景にしていると付け加えたい。

 歴史の節目をめぐる論議は、研究者だけでなく、県民の間でも盛んだ。「どの会場も満員で、聴衆の熱気に驚いた」。そう語るのは、仲間とともに来月、「薩摩侵略400年」について、今年4回目の市民討論会を企画している映像批評家の仲里効さんだ。
 「みんなは今の問題として400年前を考えている。基地問題など今の閉塞状況を破るには、沖縄を対日、対米との関係だけで考えるのではなく、アジア全体の文脈に置き直し、アジアの中での沖縄の将来を考えるしかない。400年、130年前は、私たちにとって昔の也来事ではなく、目の前にある歴史なんです」

 過去の問題ではなく、現在の問題であること。そうだと思う。

 しかし、ぼくたちにとってそうであったとしても、日本においては必ずしもそうではない。そういう前に、琉球弧のなかでだって多数にはならないだろう。これはもう、『1Q84』的問題なのかもしれない。


 

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