「奄美と沖繩をつなぐ」進行表
持田さんが作ってくれた、11月14日当日の進行表の現在形。細かなところでは更新部分は出てくると思いますが、ご覧ください。
お申し込みもお待ちしています。
15:30 開場
16:00 トークセッション 司会・進行/喜山
上里隆史、圓山和昭、藤木勇人、喜山荘一
17:30 休憩
17:45 藤木勇人 語り
18:05 概説(5分)奄美と沖縄のシマウタはどこが同じ?どこがちがう?(持田)藤木さんと掛け合い?
シマウタとは/三線比較/奏法比較/音階比較/歌詞比較
18:10 1.行きゅんにゃかな系
奄美を代表する民謡である<行きゅんにゃかな>、別名<ゆんむぃやんむい>。<トッタンカニ>として広まり、また数え唄としてたくさんの歌詞がつくられている。中国の少数民族やチベットの鳥葬の唄としても似た旋律があるという。
行きゅんにゃかな (奄美)……徳原大和
取ったん金ぐわ 別称なんどー節(徳之島)……内山&ヒロ
トッタンカニ(沖縄)……熊倉&知念
武雄と浪子(永良部)……宗・持田
石川小唄(沖縄)……熊倉&知念
18:30 2.稲しり節系
<稲しり節>は南は八重山から北は種子島まで広く伝搬し、旧暦8月の豊年祭で豊作感謝と予祝の芸能「豊年踊り」として欠かせない伝統をもっている。新城が解説。
八重山のシシャーマ節……新城亘
沖永良部の稲しり節……持田・宗
徳之島の稲しり節……内山&ヒロ
奄美の稲しり節……徳原大和
18:45 3.はやり唄 与論小唄系
「十九の春」は田端義夫や本竹祐助がレコード化する以前から、沖縄や奄美の島々で歌われていた。この元は与論島で<与論小唄>として戦前に流行っていた流行歌。明治後期に長崎口之津に移住した与論の人々が持ち帰った与論ラッパ節から与論小唄が生れ、琉球の島々にまたたく間に広まったという。元をたどれば大正時代に流行した書生節や演歌と呼ばれる<ラッパ節>(明治38年添田唖蝉坊作曲)。<ラッパ節>が元になって各地でたくさんの唄がうまれ、<選炭節(炭坑節の元)>、兵隊ソングの<スーチャン節>など、今でも各地の民謡として親しまれている。
十九の春〜ジュリグワ小唄(沖縄)……熊倉&知念
与論小唄(与論)……あおいちゃん
本土のラッパ節……?
沖縄ラッパ節(沖縄)……熊倉&知念
スーちゃん節(兵隊ソング)……持田
19:05 4.畦越え(ハイヤセンスル)系
沖縄でカチャーシー曲として知られる<唐船どーい>の元唄は「畦越えぬ水」。この曲も奄美から八重山まで広く踊り唄として伝搬している。近年、沖縄ではカチャーシー曲が高速化してきたといわれるが、他地域のものは比較的ゆるやかなテンポで古風を伝えている。
加計呂間島 鎌踊りの唄「アブシクェロ」……徳原
徳之島 畦越え……内山&ヒロ
永良部 奴踊り「畦越」(踊り・マタハリ)……持田・宗・平沢
宮古 川満笠踊りのアヤグ(踊り・マタハリ)……金城
竹富島 じっちゅ(踊り・結)……グループ結
沖縄 唐船どーい(踊り・客席から)……熊倉&知念
19:25 5.六調
もともと九州一円にあった座敷唄<六調子>が南下して<奄美六調>に。沖縄・宮古をとばして八重山で伝承されてきた。踊りあり。会場からも加わってもらって、ふたつの六調でにぎやかに終わり。
八重山六調……グループ結&新城
奄美六調・徳之島六調……徳原さん・内山さん・ヒロ
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コメント
事後承諾で恐縮ですが私のブログでも御企画の紹介をさせて頂きました。私は参加できないのが残念ですが企画の成功を心よりお祈りしております。
投稿: アカショウビン | 2009/10/18 08:04
アカショウビンさん
お心遣い、ありがとうございます。
いつか、お会いしてお話できたら幸いです。
投稿: 喜山 | 2009/10/18 21:10