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2009/10/06

廣野さんとの別れ

 廣野さんとのお別れに、藤沢に行ってきた。いまとなっては晩年の、一年余の短いお付き合いだった。冥界に彷徨っているような苦しい時に、知りあう機会があり、誘われるままに、品川駅近くの高層のオフィスにお邪魔した。そのとき、ケータイ・メールで少しも迷う心配のない案内を書いてくださったのを覚えている。オフィスでは、異業界の方たちとのビジネス・ミーティングに参加させてもらった。

 「ぼくは止まり木なんですよ」と廣野さんはおっしゃった。「元気が無くなるとぼくのところへ来て、元気になると飛び立っていくんです」と。まさに、ぼくにとってもそう感じられた場面だった。

 自分の窮状に負けそうになって相談したことがあった。そのとき、オフィスのある高層ビルの谷間の中庭のベンチで話しを聞いてもらった。廣野さんは、経営者は孤独であること、状況と仕事をするのではなく「天と仕事」すべきであることを話してくれた。ぼくの気力は委縮していて、廣野さんのアドバイスのように行動することはできなかったけれど、聞いてもらったことで肩の荷がずいぶん軽くなる気がした。肌寒い夜だったけれど、樹々を照らす街灯のオレンジが温かだった。

 新しいサービスの顧客の紹介をお願いしに伺うと、「俺をそんな安っぽいことに使うな」と叱られたこともある。身体は年輪を刻んでいるが、その眼光はあくまで鋭かった。何回かビジネス・ミーティングに参加させてもらった。SEのメンタル・ヘルスをテーマにしたセミナーに参加したこともあった。けれど、この間に浮上したビジネス構想を、結局どのひとつも実現することはできなかった。急ぐ廣野さんに、ぼくの生命力は追いつかなかったのである。ひょっとしたら、そのとき廣野さんは、自分の残された時間が念頭にあったのかもしれなかった。

 独自の商品開発モデルがあり、多くのヒット商品の実績を持ちながら、それによって報酬を要求したことはないとおっしゃっていた。会社に入ろうと思ったことは一度もない、とも。廣野さんの生き方には、武士道、いや彼の好みにしたがえば、騎士道と呼ぶべきスタイルがあって、それを堅持することは廣野さんの矜持だったと思う。

 ほんとうは、こうして廣野さんのことを書くには、ぼくの交流はあまりに短く、淡い。けれど、そうした者にも、やってくる生き様の強さはあり、それはぼくの中に残る。

 「ばんばん受注している報告を聞かせてくれ」と言われ、それができないまま残りの時間を過ごしてしまった。いまようやく別の形の報告ができることになったとき、突然のように廣野さんは逝ってしまった。ご冥福をお祈りしたい。(通夜の帰り、薫陶を受けた人たちに合流させてもらった。ありがたかった)。



 

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