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2009/10/07

「奄美人の特徴」

 甲(きのえ)は、去ってしまえばすぐに忘れてしまうような心の動きを捉えて、書いている。

四、「八年の空自」などということばがあった復帰の翌年、奄美から出て本土の某校に勤めた。その時私の胸の中に、まるで風船玉のようにふくれあがったものがあった。即ち本土の人に負けてたまるものかという対抗心である。元来私は負ける負けないとかいうことに対してははなはだ関心が薄く、そういうのに熱狂できる人を不思議に思うくらいの男だった。そういう自分に思いがけなく奄美の代表者にでもなったみたいな対抗心が突如湧いてきたので、自分ながらそれをいかに処理してよいか持て余してしまった。しかも周囲は私などへの対抗心はなく、あくまでも自然で親切だったから、結局一人角力を取っているようなものだった。

 懐かしい感覚が過ぎる。何を言われているわけでも、何を教わっているわけでもないのに、本土空間にいるというだけで緊張するのだが、友人たちの親切で瞬時にほどけていくのだった。

これは私の心中に本土コンプレックスがなかったら生じるはずがない現象である。私は不幸にしてこの対抗心にプラスすべき才能も努力も忍耐力もなかったから、別段どういうことにもなりはしなかった。しかしもし、そのような美徳にじゆうぶん恵まれている人が、コンプレックスを対抗心に転じ、更に奮発心を燃料として突き進んでゆくならどういうことになるだろうか。必ずやそれぞれの分野で頭角を現すはずである。奄美が人材の島といわれる一つの原因はこういうところにあるのではなかろうか。「偉人は貧困な家庭から生まれる」ということばがある。その理由の一つは、貧乏→コンプレックス→奮発→努力奮闘→向上という経路にあると思う。奮発心の素となる本土コンプレックスを持っているという点では、奄美人のすべてが偉人となる一つの要素は備えていると言えよう。

 甲の言わんとするところを踏まえれば、奄美は偉人を出さざるを得なかったのだ。奄美には「貧困」が埋め込まれていたからである。ガルブレイスは、『大衆的貧困の本質』のなかで、貧困からの脱出策は、「教育」と「移住」に行きつくことを実証的に説いていた。奄美・沖縄の「貧困」に向き合うと、結局は個人が頑張るしかないと思い決めてやっている人たちに出会うが、ガルブレイスの「教育」と「移住」を踏まえると、その思い決めにはある必然性があるのがわかる。奄美を「人材の島」というとき、それが「教育」と「移住」による貧困脱出を意味するとしたら、それは個人劇に止まり、奄美自体の貧困からの脱出を意味しない。だから、それ以上を求めるとしたら、個人のがんばりに依るしかなかったわけだ。

 現在、ガルブレイスの「教育」と「移住」に付け加えることがあるとしたら、インターネットにより「情報」の格差が極小化し「情報」の発信地が遍在するようになった。また、「移住」の手前の「移動」が格段に容易になったことだ。そこで、より貧困な地域への「移住」が起きるようになるとともに、より貧困な地域からの「情報」発信が起きるようになった。これらのことは「人材」が止まりあるいは流入する契機をなしていると思える。


『わが奄美考―奄美の心・方言・島唄』

Wagaamamikou

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