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2009/10/30

「内地と本土」

 甲(きのえ)は、内地と本土という言葉にこだわる。なぜ、奄美は、内地と本土という言葉を使うのだろうか、と。正確にいえば、内地の代わりに本土を使うようになっているが、それにしてもなぜ、本土というのか。甲は、「やや時期遅れの感もあるが」と断りつつ、そう自問している。

 しかし、この問いは時期遅れとは決して言えなかった。以前、見たように、基俊太郎もまたなぜ、本土というのか、とこだわっていたが、基がそう問うたのは、甲から11年後の1973年だったのである(「わが内なる奄美」)。

 それでは今私たちが使っている「内地」及び「本土」ということばはどうなっていくのだろうか。結論を言えば十年後には両者とも殆ど使用されなくなっていると思う。なぜ我々は今「内地」とか「本土」とかいうことばを使っているのだろうか。距雑感があるからである。国のはるか隅っこにある島として奄美をとらえているからである。国の中に溶け込んだ奄美としてでなく国と対している奄美として意識しているからである。交通の便が良くなるにつれて今後このような意識は薄れていくに違いない。そのような意識が薄れれば「内地」「本土」とかいうことばも薄れていくであろうことは明らかである。

 しかし、もう一つの理由もある。国土観念の未分化である。日本というものが頭の中で具象化されていないということである。即ち頭の中に日本の地図が詳しくできていないで単に一つの漠然としたかたまりとしてしかないからである。よく考えてみるとわれわれは必ずしも「内地」や「本土」ということばばかりは使っていない。「Aさんはどこへ行ったか」「大阪に行ったそうだ」などとはよく使うところである。東京、大阪、鹿児島などは我々と縁が深いため、日本全体の中で分化されて頭の中にあるから、容易にその名を使うのである。また本土に行く本人に桟橋でたずねたらどうだろうか。

 「どこまで」に対して「ちょっと本土まで」と言わずに、多くの場合「福岡まで」などとその地名を言う筈である(ただし、面倒くさい場合、はっきり言うのが都合が悪い場合、相手が長崎の位置について全く見当のつかない老人であった場合、数県へ行く場合などは別である)。それは実際に行くとなると本土などという漠然としたのではすまず、その目的地が頭の中ではっきり分化するからである。

 従ってお互いの頭の中に、日本全体が漠とした一つの単位としてでなく更に細かな単位、例えば山形県、宮崎県とまではゆかなくても本州、四国、九州などというように納まる頃になりさえすれば、「内地」も「本土」も共に要らなくなるのではないかと思う。また現にそうなりつつあるといえよう。(1962年)

 さて、甲がそう問うてから47年と半世紀近く経った現在、ぼくたちは、「内地」は無くなってはいないがあまり使うことはない。しかし、「本土」はいまだに多いに使っている場所にいる。甲のこだわりとは別に、ぼくたちはどうして現在も使い続けているのかと問うことができる。いやむしろ、いまのぼくたちには、「本土」という言葉を使うのに、甲のようなこだわりがないことを問うべきかもしれない。

 なぜ「内地」ないし「本土」という言葉が生きるのか。それは距離感があるからだと、甲は答えている。だから、交通の便がよくなるにつれ、本土という言葉も使われなくなるだろう、早晩そうなると、甲は考える。しかし、実際はそうならなかった。どうしてか。

 ひとつには、「本土」を主たる土地というように合理的に捉えているからである。したがってそれは、交通の便がよくなろうが、事態は変わらない。またあるいは、交通の便がよくなったとしても、「本土」との「距離感」あるいは奄美の場末感が消えないからである。そして、主たるものを中心とみる視点が消えないからである。それは、大島がときに、大島本島を自称することと同じである。

 こう考えれば、遡って、甲や基はなぜ、両者がともに、「本土」という言葉にこだわり、そこに違和感を見出し、使われないほうがよい、と考えたのだろう。それは、「本土」という言葉に、日本という範囲を想定しているからであり、「本土」と呼ぶということは、自分たちを国外に位置づけたようなニュアンスを感じたのだと思う。ここには、日本復帰にまつわる奄美の精神的外傷の名残りを見ることができると思う。


『わが奄美考―奄美の心・方言・島唄』

Wagaamamikou

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コメント

 >主たるものを中心とみる視点が消えないからである。それは、大島がときに、大島本島を自称することと同じである。

 ★同意です。名瀬出身の私にそれは希薄ですがヤマト(日本・本土・内地)を意識するときにそれは痛切に感じますね。保田與重郎を読むと、それは痛烈に伝わってきます。保田を面白く読んでも、天皇へ共感と大和國原への手放しの憧憬には辟易します。

投稿: アカショウビン | 2009/10/31 09:03

アカショウビンさん

保田のそれをぼくは直接にはまだ辿っていないのですが、情念的に戦前という時代に多いに共鳴したんだろうなあと想像しています。いつか、読んでみたいです。

投稿: 喜山 | 2009/11/01 17:34

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