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2009/09/11

「生活体系の確立」

 基俊太郎は「復帰二十年は奄美に何をもたらしたか」のなかで、「島の自給」を俎上にのせている。

 今日、地域社会において、自給自足の生活はかつての隠れ里をしか意味しないであろうが、それでも現代社会で自給率の多少は、やはり地域社会の健全なあり方を左右する。とくに離島という地理的条件の強い社会では殊さらである。と同時に、自給自足の困難な条件を具えているのも離島である。この二律背反の宿命に対して、どのように取り組むかということが、離島振興の基本的姿勢でなければならない。従って離島振興の目的は所得の格差是正ではなく、生活体系の確立をもって第一義とすべきであろう。それは二律背反の宿命を克服すべき生活の体系を確立するということである。

 離島振興の目的は所得格差の是正ではなく、「生活体系の確立」を第一義とすべきである。それは、自給率の困難な離島において、地域社会の健全性である自給率の高さを求めるという、二律背反を克服することに他ならない。

離島社会では、かりに基幹産業がいくつあったにせよ、それらが自給率を高めるものでないならば、それは片足産業であって、両足で自立することはできない。自給の産業と言えば、島においては農業と沿岸漁撈以外にない。ところが、その農業を代表するキビ作は、本土資本の精糖会社の原料生産業であり、第一次産業ではない。その収益性のいかんを問わず、キビ作は半年の出稼ぎと三ケ月の失業保険の中で、後の半年をキビ作りに従事するといった農民生活のパターソをつくってしまった。キビが農業を食っているのである。近年、キビ作の不振は農業の転機を暗示しているかの如くである。いま、キビに代わるものは何かとしきりに模索されているが、農業生産を換金性だけから考える風潮は、第二のキビ作の出現となる危険がある。農業は第一義的には地場消費を対象としなければならない。その意味からは、作目は主食の米作第一でなければならないが、総合農政の減反政策は奄美の米作を徹底的に打ちのめしている。

 島の自給は、「農業と沿岸漁撈」以外にない。しかし、農業を代表する砂糖きびは自給にはつながらず、「減反政策」は「米作を徹底的に打ちのめしている」。

 農業生産は自足の地場消費を第一とし、余りのものを外へ出すことを原則とすべきである。奄美の焼酎生産は、そのよきパターソであろう。この原理さえわきまえておけば、島内及び近隣離島間の需給体制のもとに、過剰生産や本土市場の変動にも即応できよう。与論島で焼酎生産の不足分を隣の沖永良部島から補っているのは一例である。

 ぼくは、『奄美自立論』では、黒糖収奪の本質は、食料自給力の収奪だと捉えた。島人は「隠れ里」の努力や珊瑚礁の恵みのおかげで自給を根こそぎにされたわけではない。しかし、食を隠れるように確保しなければならなかったということは、島という環境にとって致命的な不安をもたらしたに違いない。だから、自給率を高める以前に、自給の道を確保するということは、島の精神にとって極めて重要だと思える。

 離島は、好むと好まざるとにかかわらず、自給を強要されて来た。その苛酷な生活を補うのは、やはり島づたいの交易であった。分離時代に、北緯三〇度線の封鎖は必然的にヤミ船の出現をさそい、海にはずぶの素人たちがトカラ列島を北上し、口之島あたりで物交を始めている。しかし、この離島再発見の体験は、復帰後の奄美の進路に参加するようなことはなかった。

 この、島嶼間の相互扶助は、近年では、「ゆいまーる琉球の自治」の松島泰勝も主張している。

 島嶼社会において、本土直結の流通だけに交易の道を求めることは、船舶運航に命のすべてを託することを意味して、欠航によるパニックの危険を、たえずかかえなければならない。非常事態に限らず、常態においても本土依存の経済では、本土の経済変動の津波的直撃を、まともに受けるのはまざれもなく離島そのものである。
島の交易は、まず部落問から離島間と、そして本土へ拡がる波紋状のメカニズムを具えて、はじめて島嶼経済の安定を図ることができよう。航路の問題、道路の問題も、その基本に交易のあり方が確立されていなければならず、いたずらに「離島苦解消」の命題にとらわれてはならない。

 「所得格差是正」のみならず、「離島苦解消」も言葉をひとり歩きさせず、その前に、島嶼間の交易を重視すべきである、と基は主張する。

 奄美は「本土並み」になるために、自らの生活のリズムを穀してきたと言えよう。振興計画改定のつど、自立性はうたわれてきたが、そこには何らの論理も兄いだせなかった。むしろ、自らの生活のリズムを毀すという形で、自立性を失う道を歩んだ。これについては、地元、県、国のそれぞれの立場から、過去十九年を洗い直さねばならないだろう。

 「本土並み」という目標は、島の生活を確立するのではなく、むしろ破壊してきた。

 本来、奄美のような島喚社会では、自然と生産と人との三つに、最も普遍的にして基本的な究極概念をしぼることができる。そしてそれらは、自然は森林(河川、沿岸を含む)に、生産は農業(沿岸漁撈を含む)に、人は集落に具現されるものである。喜界島や与論島のような隆起珊瑚礁の島でも、森林に準じた線の台地が貴重な水源になっていることにはかわりはない。
 奄美を生かすも殺すも、この三つのカテゴリーの把握いかんにかかっていると言えるであろう。

 36年前の基の提言は現在でもほぼ当てはまる。現在なら、ここに、人の交流(観光とインターネット)としての「消費」という四つめのカテゴリーを加えることができるのではないだろうか。


『島を見直す』

Shimawominaosu1

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