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2009/09/09

「本土並みとは」

 現在、奄美復帰から半世紀以上、経っているが、復帰20年の1973年に基俊太郎が何を課題に挙げていたかを見てみたい。いま、何を解決済みにしえているかを見るために。

 顧みて、これまでの施策の命題は、米軍政府下の八年間の「空自」を埋め、さいはての「離島」を解消し、「本土」との格差の是正でなければならないということであった。そして、その成果は、学校、港、道路といった物理的エクイプメソトによって「空白」を埋めながらも、予想だにしなかった「本土」の急ピッチの歩調に相対して、格差是正の命題は過重なものとなっている。

 予想だにしなかった急ピッチの歩調とは、高度経済成長のことだ。米軍統治下の「空白」を埋めるという当初目的は、高度経済成長のために、拡大したかのように見えることを指している。ほんとうは、「空白」は米軍統治下だけのものではなく、数世紀にわたったものであることがことを深刻にしていた。

 時はめぐって、格差是正は奄美的課題だったが、いまや「本土」も「格差」が課題になっている。これは、奄美的課題の本土化だろうか。

 奄美群島とは、北緯二十九度より二十七度間の大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島よりなる島嶼ブロックの新しい概念である(ただし横当島の無人島を除く)。それは戦前の鹿児島県大島郡という行政圏から、上三島(硫黄島、竹島、黒島)と下七島(トカラ列島)よりなる十島村を除外した復帰ブロックであり、奄美群島復興特別措置法(昭和二十九年)の対象として、離島振興法による離島一般(トカラ列島など)とは区別されている。

 このような行政圏の定着がもたらした一つの変化は、南西諸島という従来の地理概念が、奄美にとって 湖はなはだ希薄になっていることである。正式に「大島郡」の呼称から離籍した十島村の去就については、奄美側は何の関心も示さないでいる。鹿児島-名瀬問の夜間航路は火山列島トカラを視野から消し、感情移入の機会をうばってしまった。

 「火山列島トカラを視野から消し、感情移入の機会をうばってしまった。」

 これはいい表現だと思う。行政区分に過ぎないのに、ぼくたちはトカラに対する隣人の感覚を無くしているのではないかという内省をもたらしてくれる。同じように、奄美は沖縄に対し、沖縄は奄美に対し、「感情移入の機会」を無くしている。

 島づたいの距離感の喪失は、地域社会学から見れば、島嶼社会の生き方に不似合いな発想をもたらすものと言えよう。その意味では、「空白」とは、「離島」とは、そして「本土」とは一体何であったか、いま一度問い直してみる必要がある。
 「本土」という呼称は、行政分離時代の「本土復帰」志向から生じた「母国」を意味したであろうが、復帰後も「本土」の呼称はそのまま存続し、いまではすっかり生活用語として、戦前の「内地」あるいは「ヤマト」にとって代わっている。
 それは「母国日本」 から「メインラソド」(付近の島に対しての本土)への移行として理解されるが、そこには「奄美群島」対「本土」という、戦前にはなかった新しい関係に自己が投影されている。

 トカラに対する感情移入の機会を無くし、島嶼の距離感を喪失させ、それは島々の生き方に「不似合いな発想」をもたらした。不似合いな発想とは、「本土」を中心と見なしてしまう発想のことであり、基自身が、「大島本島」という呼称のなかで、大島自身を見失ったのではないかと内省したものだった。

 「不似合いな発想」ということを、舌足らずだが言い換えてみれば、収入は低いのに物価も交通費も高いことは解決すべき課題だが、島の緑と珊瑚礁やゆったりした時間の流れまで「本土化」して無くしてしまう発想のことだと受け止めてみる。

 「本土並み」はあるゆる施策の目標となり、自他ともに疑う余地のないところである。
 「離島」は離島苦を意味し、従ってそれは解消しなければならないものであった。今では飛行機が飛び、快速船が走り、往年のハシケ航路からすれば目を見はるものがある。
 ところが、この離島苦解消の代償には、離島そのものを失いつつあるという側面が露呈されている。自然の破壊、生産性の低下、人口の流出といった現象は、その一連のものである。それは「本土並み」という地つづき願望に起因していることは明らかである。

 「不似合いな発想」を、基は「地続き願望」と言い当てている。
 これは沖縄に象徴的に現われている。信じ難いほどの巨大な橋が沖縄島と周辺の島をつなぎ、文字通り地続き化しているからだ。これは島が島の条件を無くすということであり、沖縄の島の数は減少しているのである。

 ただ、「離島苦」の不安には向き合っていかなければならない。鹿児島の、貧弱な土壌の田代に住む与論の島人が、

「台風なんかも島は吹き荒れ方が違う。それと病気になったとき、こちらはすぐ鹿屋にでも行けるけど、与論ではそうはいかない。地続きだという安心感、これは大変なものですよ」(『鹿児島戦後開拓史』 4

 という、この言葉は重い。


『島を見直す』

Shimawominaosu1

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コメント

いつも楽しみに読ませて頂いております、が…

> 奄美群島とは、北緯二十九度より二十七度間の大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島よりなる島嶼ブロックの新しい概念である(ただし横当島の無人島を除く)。

加計呂麻島は???、島嶼ブロック???…この括りは、加計呂麻島の人間としはちょっと寂しいです。一応、加計呂麻島、請島、与路島で加計呂麻諸島なんですが…

投稿: 加計呂麻人 | 2009/09/10 00:03

加計呂麻人さん

コメントありがとうございます。
ご指摘いただいた箇所は、基さんの本の引用文そのままなので、ご了承ください。

お気持ちはよくわかります。「大島」で全部くるめないで、個々の島名を挙げてほしいですよね。

投稿: 喜山 | 2009/09/10 14:57

ご返事をありがとうございました。確かに引用文ですから仕方ないですね。ただ、いつも大島のオマケ扱いなのがしゃくなんです。今回も…ただし横当島の無人島を除く…と、無人島でさえ名指しされているのにウチの島の名前が…というわけでした。

投稿: 加計呂麻人 | 2009/09/10 20:25

加計呂麻人さん

ぼくも、地図を見ると、針先の点でいいから与論島があるかどうかで、地図への親近感が俄然、違ってきます(苦笑)。

「大島」という言葉は伸縮自在で、ときに与論まで含むことがあったので、いま「大島郡」というのでしょうね。

基さんは、「大島本島」という言葉に反省して、「大島」を見直すと書いたわけですが、その「大島」が加計呂麻島、請島、与路島まで含んでいることは無意識に素通りしてしまったのかもしれません。

一つひとつの島の輪郭を浮かび上がらせていきたいですね。

投稿: 喜山 | 2009/09/11 08:30

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