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2009/09/21

奄美の背中

 実は失礼ながら、「奄美と沖縄をつなぐ」イベントのチラシを配るだけのつもりでいた。前の晩に思い立ち、まだ印刷があがってないのでキンコーズで両面コピーを200枚、用意した。9時半に開場とある。そう書いていてもきっと島の時間、三々五々で気づいたら人が集まっているくらいの感覚だろうと、9時半から入口に立って来場者に配っていけば、仕事は完了すると思っていた。

 ところが、受付でひと言、「ここに置けばいいがね」と。「これだけしかないの?」、「もっと早く言えばいいがね」とか、逆にぼくの気合い不足を指摘される始末。ありがたく置かせてもらい、200枚はあっという間に、参加者の手元に届くことになった。

 あっけなく仕事は完了したのだが、なんとなく去りがたい。東十条小学校と与論の小学校が姉妹校であるのを知っていたこともあったし、そこにあるソテツが与論からのものだと教えられると、ますます去りがたくなった。見たことある旗だなと思ってよく考えたら、パナウル王国の旗だ。競技が始まれば応援もしたくなるというもの。

 そうこうするうちに、奄美縁の人に声をかけられたり久しぶりの再会があったりで、いつの間にか東十条小学校で過ごすことになった。「奄美の家」の圓山さんに、ここに来ると、奄美系のTシャツのデザインを見るのが楽しいと教えてもらった。ぼくはそうか、と思い、撮ることに。でもTシャツではなく、各チームのはっぴに目がいってしまい、島々を巡った。断りなしにこっそり撮ったものも多く、ごめんなさい。

 競技は、都会っ子名瀬をワイルド徳之島が下して優勝。お見事だった。途中、ちびっ子たちのエイサーもあったが、奄美全体でエイサーというのが不思議な気がしたが、まあこれは与論出身の会長が強引に、かなと想像したり。けれど締めはやっぱり六調で、ここでちょっと乗り気になれない気がし始めた。でも、いつもとは違う感じ方もやってきた。奄美と銘打ったイベントに出かけると、奄美大島のことを指していることも多く、結局自分たちのことは入っていなかったのかと、いじけ交りにさびしく帰ることがあるのだが、今回はそうではなかった。それは、各島(シマ)がチームを組んでいるので、それぞれ対等の構成単位になっているからだと思う。要するに、各島(シマ)が主役の瞬間を持っているということだ。与論からも、わたしは踊れるよ、と六調に参加していくウバもいて、これならいいなと思った。

 二年に一度というが、ひょっとして東京で奄美の島人に万遍なく会う最高の機会かも。

 その後は、沖洲・与論合同の打ち上げにも参加した。ぼくは、そうは言っても沖永良部の人はいるんだろいかと気になっていた。学校では旗も横断幕も与論だけだったし、応援団も与論青年がやっているように見えた。いるんだろうか?と思っていたが、杞憂というもので、集ったのは与論の人より多かったんじゃないだろうか。で、次は、与論と沖永良部は別々で飲むんじゃないかと思っていたが、それも杞憂というもので、交って楽しく話していた。主催者のご好意で「奄美と沖縄をつなぐ」イベントの告知もさせてもらい、仕事をした気分にもなった(笑)。

 終わってみれば、小学校の同級生の妹に会ったり、三十数年ぶりに近所の友人に会ったり、贅沢な時間だった。とうとぅがなし。


 それにしても、島っぽさってありますね。応援合戦のとき、与論の応援団は他の各チームにエールを贈ってから自分たちの応援を始めた。ぽい、ぽい、与論ぽいと思った瞬間だった。(そうそう、東十条一丁目の方々の太鼓も素晴らしかった)。


 「第111回東京奄美会総会・大運動会」


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