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2009/09/17

『憎しみの海』

 syomuさんの熱意(甦る安達征一郎の南島文学【一】)にほだされて、安達征一郎の『憎しみの海・怨の儀式』を手にした。

 大部なので、まず第一部の「憎しみの海」の小説集を読んだのだけれど、ここにある7つの小説に通底するモチーフは、憎しみだと思う。それは、初期の「憎しみの海」にすでに明瞭だ。

 幸十郎は妻の不実を懲らしめるために相手の男を殺そうと見せかけるが、妻は謝らず、そうこうするうちに男の兄が弟の危険を察知してやってくる。幸十郎は、妻の不実を懲らしめるどころか今度は追われる立場になる。舟で逃げ、妻の加那を海に蹴落として難を逃れようとするが、銃で頭を射ぬかれてしまう。追跡者は、加那をも許さず、干潮時にわずかに狭い岩礁が海面に現れる珊瑚礁に取り残して去っていく。しかし、殺されかけたために弟が発狂したのに気づくと、置き去りにするだけでは収まらず、追跡者たちは改めて戻り、加那を舟の柱にくくりつけ、両肩の骨を外し、海に舟ごと放っておく。加那を乗せた舟は、当てもなく波間を漂うことになるのだ。 

彼らは自分らの持舟にひき移った。はりつけの女を乗せた刳舟はぶらんぶらんゆれながら静かに流されていった。糸満の兄弟たちはしばらく無感動に眺めていたが、やがて何処へともなく立去っていった。落日の太陽は、身もだえしながらその最後の光苦を失うまで女のうえに赤い光をなげかけていた。夜がきて朝がきた。遮るものもない日中の熱気に女の胸はあえぎつづけた。そして夜がきてまた朝がきた。いつの間にか女の髪は某日になっていた。やがてその上に無気味な呼声をたてる海鳥が舞い飛び、海面にはいるかが白い腹を見せて群れた。(「憎しみの海」)

 ここにあるのは憎しみの連鎖だ。幸十郎は妻を憎んで懲らしめようとするし、妻は幸十郎を憎んで謝ろうとしない。男の兄は、幸十郎を憎み、加那を憎む。弟が発狂するに及んで憎しみは、加那を舟にくくりつけて洋上に放逐するまでに至る。ここで、亜熱帯の砂浜と珊瑚礁を舞台に展開される憎しみは、自然の原色をなぞるように、単純で粗野で、深い。

 安達は、この原始的な振る舞いのさまについて、奄美のどこかとおぼしき南の島の特徴だというのではない。むしろ、南の島は憎しみに囚われている、そう言いたげである。振る舞いの原始性は、南の島に生き生きとある人間の原型に見えるし、安達はそういうエッセンスを島からくみ取って描いているとは言える。しかし、ここにある憎しみは宿命的で、そう表出する他、行き場がないもののように描かていると思える。

 南の島の実像自体は、たとえば、次のように描かれる。

 月の出は静寂になごみを与え、島の自然とすべての生命から、妙なるメロディーをひきだした。林のざわめき、虫の鳴き音。遠くの潮騒と近くの波音。溜息に似たバナナの葉の擦れ合う音、パパイヤの果実の墜ちてつぶれる音。朽舟をかじっている木喰虫の音、砂浜をえぐって流れている小川の砂壁の崩れる音。ヤドカリの這いまわる音。海のなかの小石のうごく音。彼の足音におどろいたか、ぴちっと跳ね上って逃げていく渚の銀針のような小魚の水音。月に向って鉄をあげ鋏のあいだに抱を溜めて砂面をゆっくり動いている蟹の足音。その他、眼に見えないもろもろの微細な生命たちのたでる、咀嚼の、闘争の、恋と誘いの物音。いま、それらは一つに溶け合って、竪琴の遠鳴りのような曖昧だが確実な夜の浜辺のメロディーを奏でていた。(「種族の歌」)

 そう、これはぼくたちのよく知る、南の島、たとえば奄美の姿だ。それなら、この憎しみはどこからやってくるのだろう。

 それが史実と結び付けられいるのは、「怨の儀式」だ。ここでは憎しみは、薩摩の圧政の歴史の記憶へ向けられている。外側から訪れる暴力から受ける圧迫が、内閉された場所では相互の憎しみとして表出される他ない。そんなことを連想させる。物語では、それは、本土からやってきた民俗学者へ向けられ、彼は生け贄を余議なくされる。

 安達が描く憎しみは、安達の個性に帰せられる部分もあるだろうが、奄美の歴史が被ったものを置かなければ不明な部分を残すと思える。現にぼくは、ここにある「憎しみ」に、それが自分にも馴染みあるものだと気づかないわけにいかなかった。

 ぼくは自分が文章を書き始めたころ、持て余すほどうずくものを、「得体のしれない憎悪」と表現するしかなかった。そこに言葉を与えようとした思考錯誤を、『奄美自立論』という形に、やっとすることができたが、それはある意味で、得体のしれないものの正体を突き止める作業だった。

 なぜそれは得体がしれなくなるのだろう。それは、その発露が封じ込められているからである。なおかつ、奄美に言葉が奪われているからである。ぼくにとって、言葉を得るためには歴史を発掘した先人の言葉が手掛かりとして必要だった。しかし、ぼくに比べても安達にとって手がかりとなる言葉は貧弱だったはずだ。『憎しみの海』が発表されたのは1952年、復帰の前年である。言葉が奪われた状態で、それでも、得体のしれない憎悪に形を与えるにはどうしたらいいか。安達はそこで小説という方法を採った。そういうことではないだろうか。作品からやってくる共感を自分に引き寄せると、ぼくにはそう感じられるのである。

 たとえば、ぼくは「薩摩の圧政」と書いたが、憎しみが向かう明瞭な対象がつかめない証のように、作品中には「藩政」とあるだけで「薩摩」の文字は出てこない。知ろうとする者にはそれが薩摩をモデルにしていると分かるのだが、作品中にはそれは明示されない。ただ、憎しみだけは明瞭である。それは、「怨の儀式」では、「チガサワギモス」という言葉に象徴されている。

 本土から来た民俗学者は、挨拶の言葉が聞き取れず、尋ねる。

「なんといわれたんですか」と彼は怪訝そうに部落会長に尋ねた。「島言葉で『血が騒ぎます』と申しました」部落会長は恐縮した固持で答えた。「御承知のように、わたし共の先祖は、藩政時代、藩主の圧政に塗炭の苦しみをなめたわけですが、御先祖は陰でこうささやきかわしては、今に見ておれと何時の日かの復讐を誓い合ったと申します。そこでわたし共も、怨の儀式の期間中に限って、これを口にして先祖の苦労を偲んでおるというわけでありもす」

 憎しみは「復讐」として対象化されているが、その矛先は明示されるわけではない。憎しみはありありとしているのに、向かうべき対象は暗示されるに止まるのだ。

 「怨の儀式」の舞台はウルメ島と呼ばれるが、もちろん架空の島である。ただ、こういうことは言える。作品の発表された1952年時点では、「うるま」を「琉球」と解する説は流布されていたし、宮良当壮の「珊瑚礁」説も既に存在していた。安達が舞台となる島の名をウルメと名づけたとき、「琉球」や、新しく加わった「珊瑚礁」と解された「うるま」を念頭に置いただろうことは無理なく想像することができる。また、ウルメは、怨み(ウラミ)の語音へと連想を広げることもできる言葉だ。

 安達のいうウルメ島とは、「珊瑚礁」=「怨み」という二重性を孕む場所として、どこでもあてはまる普遍化を施されているようにみえる。奄美のどこでもあてはまるように。


   『憎しみの海・怨の儀式―安達征一郎南島小説集』

Nikusiminoumi

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コメント

とっても考えさせられました。憎しみに燃えて人を客観的に見る時、醜く感じることがあります。だけど、自分の中に宿してしまっている時、それを理性で理解していたとしても捨てることはとても難しいです。その素性を知ることも、本当に自分の奥の奥まで突き詰めて考えてみないと、知ることさえ出来ないと思います。その過程も痛みを伴うものだと思います。喜山さんのように、正面から向き合っていることは凄いことだと尊敬します。

投稿: kemo | 2009/09/17 18:38

安達征一郎さんの作品に対して、『藤井令一は、作品集「怨の儀式」までの安達を評して「怨・殺・叛(はん)の剔抉(てっけつ)に執心する傾向が強かった」作家だと指摘していた。』という書評を読みました。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-146173-storytopic-90.html

言い得て妙ですよね。それだけ凄い感情の渦を描いた作品に自分が衝撃を感じたのは僕が荒れてた高校生ぐらいの頃に安達さんの作品を読んだからだとも思います。
荒れ狂ってた僕を心配してオヤジが島に連れて行ってくれて、島で波の音を聞いていたら血のざわめきが不思議に治まるような安ど感を感じたのを覚えています。

>「チガサワギモス」
安達さんの作品には鹿児島弁もよく使われているのも特徴的ですよね。島といってもトカラの島?というような描写もあります。

『鹿児島~奄美~沖縄』という黒潮のメインストリームを横から見るような『宮崎~喜界島~糸満』の潮の流れも感じる。
すいません自分のブログでもまた書きたいんですけど、なかなかうまく表現できずに^^;;
喜山さんの安達作品の評ももっと読んでみたいです。

投稿: syomu | 2009/09/18 23:22

kemoさん

結んで開いて、ではないですが、突き詰めて解放す、というようなことが上手にできるといいですよね、きっと。

投稿: 喜山 | 2009/09/21 14:46

syomuさん

そうなんですね、鹿児島弁。あれはなぜ島の物語のなかで使われるのか。

ぼくなど、逆なでされるような感じもあって、憎しみを増幅させるためか、と勘ぐったりします(苦笑)。

トカラの島を舞台にしてそうなっているのかもしれません。

投稿: 喜山 | 2009/09/21 14:48

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