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2009/09/03

「異説観光文化論」

 基俊太郎の「異説観光文化論」は約40年も前の文章だ。ぼくたちはこれをどれだけ過去のものにしているだろうか。

 土地にはそれぞれ固有の文化があり、従ってその味覚も亦固有のものであります。併し、地方文化が都市化、近代化の過程で自らの性格を失って中性化しつつあるのが日本全体の傾向であります。そして、不思議な事は地方程それがはげしいのであります。汽車弁は同じ二百円でも田舎へ行くに従って不味くなります。田舎で都会風の弁当を作れば不味いに決まっております。なぜ都会風にするのでしょうか。お客様は田舎料理が口に合わないだろうと思うのでしょうか、いやそれよりも田舎料理よりは都会料理が上等で美味しいのだという偏見があって、都会料理にも美味しいのと不味いのとがある事など考えてもみないのです。何も田舎は田舎料理でなければいけないという事ではありません。田舎料理にも美味しいのと不味いのとがあります。要は何料理であれ、より美味しいものを作り出す事ですが、都会化をたどる地方では何が美味しいかという味覚そのものが混乱して、すっかり自信を失ってしまったのです。そして、そのような自信喪失の裏返しに観光が空しく自己誇示の役をつとめるのもいたましいと言う外ありません。

 「自信喪失の裏返し」としての観光という側面はまだある気がする。ただ、田舎料理を誇らしく出すようにはなった。旅行者のみならず、本土の奄美、沖縄料理店で気軽に味わえるようになったことも寄与していると思う。むしろ現在は、なんちゃって料理店も多く、都会での田舎料理の質が問われているのかもしれない。また、田舎料理は誇らしげに提示されるようになったとはいえ、それを商品化しているのは相変わらず本土資本で、地元が潤っているわけではない。

 味覚と産業が有機的に繋がった状態を文化と呼ぶのです。毎朝、新鮮な魚が名瀬港に水揚げされるのに、寿司の種をわざわざ鹿児島からとりよせるのを植民地文化と呼びます(名瀬の寿司屋はコプシメを知りません)。これは倫理や経済の問題ではなく感覚の問題です。
 このような古典的な思想に対して、必ず「流通機構の現代社会に於いて、云々」と反駁が出るに違いありません。野菜を鹿児島へ出してそこで値をつけて、送り返して名瀬で食べるのが流通機構であれば、私の古典的な思想の方がよっぽど健康であります。大島では自給自足の素朴な美学は理念として、又実際に生かしておかねばならないのです。

 「植民地文化」とは言い得ている。これはいい加減、止めるべき課題だと思う。

 「吾きやシマ」 が失われたと嘆く人の言葉には実感がありますが、郷土発展のためにとか、観光のためにとか弁を弄する政治家や有力者の言葉は浮いて空疎に響きます。私は退えい的な扇動をしているのではありません。何年ぶりかでシマに帰って来たら、浜のアダソが消えてコソクリートの堤防が出現していた現実に深く失望する人達に同情するのです。都会の生活の中で苦闘しながら、意識下の中でたえず力の支点になっているシマが変貌する事は決して好ましい事ではありません。私が初めにふれた大島の集落事情に於いて、生活の単位である集落の環境に変更を加える事は生やさしい事ではないのです。現にシマを巣立って行った人達にも、その精神的影響を及ぼしておる事を思えば、単純な目的論で処理できぬ事情をそこに読まねばならないのです。

 三角平地の一辺を海へ向かって開く大島独自の集落は、海との空間交流に於いて、その接点となる砂丘が重要な意味を持ちます。つまり集落内の生活空間と海原へ拡がる自然空間との中間に、砂丘がアダソやガジュマルとともに緩衝帯を形成して両空間を取り持ち、其処を通して、村から浜へと空間心理をつなぐのです。防風、砂防の役目は勿論であります。「島育ち」 の情緒は背後にそのような意味が働いているのです。

 高潮対策の堤防は、ただ高潮だけを防ぐ目的のために、海と集落との空間交流の関係を断ち切ったのです。ところどころ浜へ下りる出入ロをつけてありますが、笑止の沙汰で、これでは浜と集落は心理的につながりません。こうなってはもう「浜」 ではなく、敵前上陸の「水際」であります。まさか次の戦争に備えているわけでもありますまい。私は未だかつて高潮の被害など聞いた事がありませんし、本当にそれが必要であるかは疑わしく、あの由緒ある渡連など全く瀬戸内に画しておりながら、例のコソクリートで要塞化されているのですから、昔の渡連を知る人はマユをひそめるのも当然です。

 「都会の生活の中で苦闘しながら、意識下の中でたえず力の支点になっているシマが変貌する事は決して好ましい事ではありません」という出奔者に対して、島人には島人の生活があると反論する権利を島は持っている。

 ただ、現在も続くコンクリート堤防は、「浜」の「水際」化であり、「海と集落との空間交流の関係を断ち切っ」てしまうという評価は島のメリットになっていないことを教えている。島の宇宙観を損なうということだから。

 大島の地元の観光熱は大島特有の文化、自然美を内外の人々に満喫させたいという素朴な郷土愛に根ざしていて、その限りに於いては否定されるべきものではありませんが、これまで述べて来た私の文化論をふりかえって下されば、観光など少しもやる必要はないばかりか、「観光熱」はもっと文化の次元で情熱を燃やすべき所を得て、ご安心頂けると思います。
 「名瀬らしさを失いたくない」という少数意見は単なる懐古の情ではなく、名瀬が悪くなるのではないかという危供と、名瀬をよくしたいという願望として、私は理解します。産業開発、都市開発の思想に、自然観、歴史観、文化観が欠けるなら「名瀬らしさ」 「大島らしさ」は失われるでありましょう。しかも、現実には「名瀬らしさ」はすでに失われたスローガソでありますが、気がついたところで「名瀬らしさをとりもどす」ためのキャソペーソは急を要して、それが「紬」のなげかわしい問題に集約象徴されておる事も決して偶然ではありません。

 「観光など少しもやる必要はないばかりか、「観光熱」はもっと文化の次元で情熱を燃やすべき」という立言も、現在も生きている。今のほうがリアルに聞こえるのではなだろうか。


『島を見直す』

Shimawominaosu1

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