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2009/09/07

「与論の沖縄型民家」

 島尾敏雄もそうだったが(「島尾敏雄の与論島、その表情」)、与論は、旅人をときに夢かうつつか分からない世界へ誘うかのようだ。

 与論の茶花沖に船が投錨したとき、それは満月に近い月夜でした。ハシケから月明りに海が透き通って見え、期待を一ばいにするのでした。翌日、このドラヤキをつぶしたような島を巡りながら、南の海上に沖縄島を見たとき、それは予想を超えて、むしろ夢に近い新鮮な光景でした。夕陽のさす足戸へのだらだら坂を、紋付姿の二人づれの婦人がふろしき包を頭上にのせて登って来るすれ違いに、私はこの島の最も良き時代の断片を垣間見たのです。西の海上に鋸状の島がくっきり浮かび、それは私の地理の知識を超えた未知の島(イヘヤ島)で、ユソヌ(与論)というこの島では、時間の推移が絶えずこの透明な大気の中へ吸収されていくみたいでした。

 「ドラヤキをつぶしたような」と言われると、失敬な(笑)とも思うが、「時間の推移が絶えずこの透明な大気の中へ吸収されていく」という感覚は、与論のものだと、ぼくも思う。

 与論のトーグラは先にも触れたように、土間と土壁が特徴ですが、それ大島から見ると想像もつかないほどで、トーグラの変遷について墓な示唆を与えるものです。茅の葺き方はタラをはじめ、すべてが棟を一点の束に結ぶのが特徴で、沖永良部へ移住した家ですら、この与論型を固執するのです。与論には与論だけの世界があって、それが「島」であるのです。
 帰路、客を乗せた上り船は、沖で長い時間待ちをしなければなりませんでした。エソジソを止めた船が月夜の海上に浮かんで、白夜のような静寂が広がるのでした。かすかな音に目が覚めたとき、船は汽笛一つ鳴らすでなしに、微速で動き出していて、黒い島影に浜が白く光り、ゆっくり右へ移動していました。それが、私には船がどんどん南下しているように錯覚されたのです。

 「与論には与論だけの世界があって、それが「島」であるのです」というのは、シマ/島の定義と言ってよいものだ。夢幻にさまよう感覚は、島を去るときまで基を離れていない。時間と空間の感覚がゆらいで覚束なくなる。それは与論島クオリアだ。


『島を見直す』

Shimawominaosu1

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