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2009/08/25

『幻想の島・沖縄』

 「奄美と沖縄」を読んだ時点では、目盛りの粗さが気になってしまったが、最初から全体と通すと印象が変わった。大久保潤の『幻想の島・沖縄』は、本土の人が沖縄問題に接近するようにはどうしたらいいか、そのよいガイドになっているのではなかと思えた。

 いま琉球では、2009年のことが話題になっているが、実は2012年にも問題はある。そこで復帰以来ずっと続いている振興策、税金軽減などの特別措置が期限切れになるという。奄振の期限延長をいくども聞いているぼくなどは、期限延長になるのではと安易に思ってしまうが、どうなのだろう。

 それはひとまず置くとして、大久保によれば沖縄は「日本らしい」。

 沖縄は歴史や文化が独自であると強調されることが多いのですが、実際に暮らしでいて本土と違う独自性を感じることは、海と植物と天気などの自然環境以外にはあまりありません。むしろ、良い面でも悪い面でも日本らしいと感じました。
 島国日本の欠点とされる、視野が狭く、保守的でお上意識が強く、無責任で自己批判ができず、リスクを取って現状を変えようという意欲がなく、談合体質が強く利権争いが絶えず、問題提起能力はあるが問題解決能力がなく、具体的な行動をせず批判や要望だけを繰り返し、独自の文化を持っているのに、それが自信にも自立にもつながっていない。その日本の悪い部分が凝縮された島-沖縄。そんな印象を持ちました。

 沖縄は島国日本の縮図であること。それは奄美もご多分に漏れない面もあるから分かる。こう、分かると言って済ませられるのは、縮図以外の場所に、沖縄、奄美らしさはあるとぼくが思っているからだが。

 ではどうなればよいのか。著者の見通しはある意味とてもシンプルだ。基地の縮小である。

 1609年以降の沖縄と本土の関係は、総じて被害者と加害者の関係でした。沖縄と本土がもっと情報を共有し、被害と加害の関係から抜け出し、距離感をわきまえたいい意味で冷めた関係になる時期が来ていると思います。そのための大前提が、あまりに多い米軍基地を減らすことです。外と内から大きな変化が起きている2009年。自立に向けた時間に余裕はなく、多くの危機的な課題にも直面しています。しかし、日本全体で沖縄の基地を減らすことを考え、それが実現していけば、沖縄と本土のゆがんだ依存関係は一気に冷めます。その時、人の魅力を自立につなげる多くのアイデアが生まれることでしょう。足元は厳しくても、長い日で見れば沖縄が主体的に変わる、今は好機であると信じます。

 基地の縮小を振興策の削減とともに実現することである。振興策は沖縄のためになっていない。このお金をもらう方(沖縄)も払う方(全国民)も流れや使われ方を知らない。だったら、

 いっそのこと、沖縄振興計画の最後の1年となる2011年度は、内閣府沖縄担当部局の予算をちょっと増やして3000億円確保し、その全薇を県民一人ひとりに現金で配ったらどうでしょう。
維持費だけで赤字運営になる箱モノをつくるより、よほど経済効果があります。3000億円あれば、赤ちゃんも含めて1人20万円ばら撒けます。5人家族なら100万円のボーナスです。「振興策と言われても一般市民には得したという実感は何もない」と言われ続けた振興策ですから、最後ぐらいはわかりやすく目に見える形で実感してもらうのもいいでしょう。税金を払っている側も「沖縄を支援している実感」はありませんから、この方が 〝払いがい〟が感じられて、いいかもしれません。

 これは冗談半分のアイデアだと大久保は言うのだが、ぼくも奄振について、その大部分は地元に還流していないなら、奄美の住民に直接配って、各島々で使い方を決めてもらったらいいと思ったことがある。究極にはそうではないだろうか。

 この、基地縮小と振興策削減を同時に実現するに当たっての課題は何か。

 まず、沖縄は「官民高低」が著しい。 
 ぼくは鹿児島のことを思い出した。鹿児島も「官民高低」である。もちろん、小さな島々で公務員が大事な雇用の受け皿になっているのは知っているし、それを問題視しようとは思わない。けれど、鹿児島本土も相当に官高で、あの県庁舎が典型的にそうである。どうして県民所得の低さを問題にするところが、不釣り合いなほどに立派な県庁舎を建てるのだろう。ここには、官高が官偉となる倒錯像があると思えてならない。この点においては、公務員給与は民間給与の平均を上回ってはならないとしたレーニンが正しいと思う(「国家のすべての役員の俸給の「労働者なみの賃金」水準への引き下げ」『国家と革命』)。
 しかし、それは沖縄においても著しいというのは知らなかったことで驚いた。

 また、経済面でいえば、低賃金。沖縄に拠点を設ける、たとえばコール・センターなどの企業の進出の理由が低賃金である。進出企業だけではなく、そもそも沖縄の企業がそうである。それが観光やIT企業など、沖縄の重要な産業を育ちにくくさせている。

 基地の存在はディメリットもあるが、本土に比べて経済的なメリットが大きすぎることが問題である。

さらに、デメリットを受ける人とメリットを受ける人が別々の人であるため、実は基地問題で沖縄は絶望的に一枚岩になりにくいのです。「沖縄の声」はいつもバラバラです。沖縄では基地反対運動が活発に行われているように思われがちですが、基地がほとんどない那覇市を含む本島南部や宮古、八重山などの離島では基地問題への関心は驚くほど低いのが実態です。

 「反戦・反基地」のデモ参加や勉強会も無駄ではない。

 ただ、単なる経験やセレモニーで終わらせないためには、基地の経済的な側面についでも情報発信する必要があるでしょう。そして具体的に基地を減らすために最も有効なことは、まず基地の見返りとしての振興策や特別扱いに反対することです。「アメはいらない」と言われることが、日本政府は最も困るのです。アメを自ら受け入れでしまってはムチに反対することはできません。アメとムチを機能不全にさせることです。沖縄に注がれるアメは、沖縄の企業だけでなく本土の企業も潤わせますから、これは沖縄だけの問題では当然ありません。振興策を拒否すれば、足元の生活は少し悪くなるかもれませんが、長い目で見ればいいことの方が多いと思います。

 と、意外にあっさりきっぱり言っている。

 日本は非戦の誓いを立てたかもしれない。でも自分たちが起こした戦争を総括していないからどうやって国を守るかという議論を主体的に考えてこなかった。そのツケが、沖縄で表面化しやすい。

 また沖縄は埋め立てで土地がどんどん拡大している。沖縄の人は概して泳がないし離島に行くこともない。本土の人の比べたら埋め立てには抵抗がないのかもしれない。けれど、「美ら海」、「美ら島」で人を呼び寄せるのであれば、「海岸線を埋めるのは少し控えた方がいいでしょう」。

 さらに、沖縄では、沖縄vs日本という構図が生まれやすい。けれど、この構図にからめとられないようにしなければならない。

 世の中には「余計なお世話」をしたがる人と、そのお世話を求める人がいます。日本政府と沖縄の関係もそれに似ています。すべでの人がそのどちらかであれば需給関係は完結しおめでたいのですが、ほとんどの人は「余計なお世話」はしたくもされたくもないのではないでしょうか。基地はもちろん、振興策も実は沖縄にとって余計なお世話ではないのかと思うのです。それでもお世話が続くのは、世話する側にもメリットがあるからでしょう。伊佐氏が指摘するように少し離れた視点を持ち、深く関わらない冷めた関係が必要です。沖縄問題は、沖縄Ⅶ日本という関係でくくるのではなく、このお世話の受給関係を歓迎する人と拒否する人というくくりで見るのが正しいと思います。

 では自立するにはどうしたらいいのか。著者は、「若者のための夏の沖縄」から「高齢者のための冬の沖縄」へ、基地跡地に医療、リハビリ施設、オーダーメイドの健康診断、地震の少ないメリット等、日本経済新聞社の人らしく施策アイデアをいくつも出している。

 大久保は沖縄の人が得意な「クールで居心地のいい距離感」が沖縄と本土のあいだに生まれたらいいと願う。ぼくはいまひとつ、この「クールで居心地のいい距離感」が実感的に分からないことろがある。また、沖縄の基地が縮小しても日本人の安全保障感覚には抵抗はないとする見解が、そんなに簡単だろうかという疑問もある。読み終わってみると、川面を高速艇で過ぎ去られた感じもしなくはない。

 けれど、普天間基地問題の実相など、佐野眞一の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』のゴシップ調とは異なり、丹念に取材した認識から啓蒙される点も多かった。「基地縮小と振興策削減」を同時に射程に据えた点も、そんなに簡単にはいかないという声を聞く気はするが、そのシンプルな骨子の向こうに、縮小した基地と削減された振興策のあとについて、思考停止に陥らずに考えようとする姿勢を汲み取りたいと思った。 


   『幻想の島・沖縄』

Gensounoshima

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