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2009/08/16

「大島代官記」の「序」を受け取り直す 2

 ところで、ぼくにとっては弓削の成果を受け取るだけでは終わらず、ここから先に課題がある。それというのも、ぼくも「大島代官記」の「序」に多いに躓き、それが奄美の島役人が書いたものとはにわかには信じられないと考えてきた。

 不思議な文章でしょう。ぼくは、薩摩の役人が書いたものと思って読み進めたら、奄美の島役人が書いたものと解説されていて心底、驚きました。何度読んでも、奄美の島人が書いたということはなかなか納得できませんでした。どう見てもこれは薩摩の役人が薩摩のために書いたとしか思えないものだったからです。(『奄美自立論』

 しかし、これが島役人の書いたものであると見なさざるをえないとしたら、それが感じられるのは、大山も着目したように、末尾の「往古を慕うは無益と云々」の箇所だと見なした。『奄美自立論』ではこう書いたところである。

 序文のなかで、この書き手が奄美の島人であることを感じさせるのは、「今では昔を慕うことは無益というものであろう」という末尾の個所です。もともとの書き下し文では、「今に於いて往古を慕うは無益と云々」となるところです。そして、「大島代官記」の序文において、最も重要なのもこの末尾の部分だと思われます。この島役人は、仮にも奄美の知識人をもって任じるのであれば、ここで「云々」と口ごもるべきではなかったのです。彼はここで、「往古を慕う」記述を書くべきでした。もちろんこれは「大島代官記」であり薩摩の役人も目を通すものであれば、自由な記述が可能であったということはありません。琉球王国を慕う記述が可能ではないでしょうし、またぼくはそれを書くべきだと思うわけでもありません。この島役人がほんとうに奄美の島人であると仮定するならば、彼にできたことは、奄美の記憶を書くことでした。「云々」で終わらせずに、「大島代官記」の許容する範囲内で、知恵を振り絞って奄美のことを書くべきだったのです。そうすることが、どれだけ後世の奄美の島人を励まし、時勢へ抵抗する力を生み出したかしれません。

 大山麟五郎は、この「云々」に言うに言えない気持ちの断絶を見、ナショナリズムへの覚醒から薩摩支配を肯うものの、琉球への思慕を諦めた島役人の心中を代弁するのだが、ぼくはむしろ、この「云々」の口ごもりはそのようなものではありえず、ここで自分たちの記憶を書かずに口ごもったことで、奄美の知識人の屈服は決定的になったと見なした。「この島役人がほんとうに奄美の島人であると仮定するならば」、だ。

 さてところで、弓削が検証したように、「大島代官記」の「序」は素直に読んだ印象の通り、薩摩の役人の書いたものだとしたら、大山麟五郎はとんだ勘違いをしたことになる。彼が、この「序」の「日本」という言葉に奄美知識人のナショナリズムの意識の萌芽を見、懸命にそこに意義を見出そうとするあまり論理は曲芸化し、結果的に明らかになったのは「序」を書いた奄美知識人の精神構造ではなく、奄美知識人としての大山麟五郎の屈折の構造だった。ぼくはこの屈折に不可解さを感じ、その由来を知りたいと思うとき、そこに「序」の屈服の論理の原像を見るなら、島役人の屈服から大山の屈折まではひとつの系譜として見なせると考えた。

 つまり、ぼくはぼくで、「この島役人がほんとうに奄美の島人であると仮定するならば」という留保をつけながらとはいえ、大山同様、「云々」の箇所に過剰な意味を見出し、そこから屈服の論理を抽出したのであり、そこに勘違いがあるのだから、誤解を訂正し認識を更新しなければならない。ましてぼくは、「大島代官記」の「序」が、奄美の島役人の書いたものとは思えず、しかしにもかかわらずそれがそうであるとするなら、そこには屈服の論理がありそれは克服されなければならないと考えたことが、奄美の自立について考え、書く動機にすらなったのだからなおさらである。

 「大島代官記」の「序」は、奄美の島役人が書いたものではなく、薩摩の役人が書いたものである。そう見なすと、ここからはどういう光景が広がっていくことになるだろう。

 「大島代官記」の「序」が薩摩の役人の書いたもので、奄美の島役人の書いたものでないとしたら、では、そこに屈服の論理はなく、奄美に屈服の論理は生きていないことになるだろうか。それは否、である。ぼくは、「大島代官記」の「序」に屈服の論理を見るが、そこに単独の証人のようにあるのではなく、むしろ、奄美内薩摩として黒糖の収奪に多いに機能した島役人や「奄美は大和である」という自己欺瞞までして遮二無二、日本復帰へのなだれ込んだ知識人の言説や原口虎雄による思考収奪に、屈服の論理が体現された姿を見ればこそ、奄美にそれは生きていると見なし、そこから敷衍してその淵源に、あの「序」がリアリティを放って存在していると考えたのだ。

 克服しなければならない屈服の論理は生きている。

 しかし、にもかかわらず、弓削の指摘を受けてぼくたちの心が軽くなるのは、ぼくたちは屈服の論理を抱えているとはいえ、「大島代官記」の「序」が、薩摩の役人に書かれることと、奄美の島役人に書かれることとのあいだには、千里の径庭があると言うべきだからである。奄美の島役人はあの「序」を書いたわけではない。それがどれだけぼくたちの心を慰撫してくれるか。そこにあるのは、完全に思考を薩摩の史観に塗りつぶされた証ではなく、それを強いようとした強者の論理であると思えることが、どれだけぼくたちを励ましてくれるか。ぼくは、「序」の末尾に、奄美の記憶が書かれているなら、後世の人々は計り知れないほほど励まされただろうと書いたが、いまぼくたちは、これが奄美の島役人の手になるものではないということに励まされるのだ。

 ぼくは、それが奄美の島役人の手になるものだとしたら、そこに屈服の論理の原像があると見なしたわけだが、そこにあるのは実は、強者の論理の原像である、ということになる。そしてそうであるならぼくたちは、この強者の論理の原像に、否と言う自由を、いまでも持っている。小が大を敵にすべきではないことに否を言い、琉球は元来、日本の属島であるということへ否を言い、謝名親方の短慮愚蒙説に否を言い、そして何より、今となっては昔を慕うのは無益である、という判断に、無益ではない、と言うのである。

 こういう「否」の連続はまるで60年代風、あるいは「日本が見える」の新川明風だが、歴史の段階を充分に消化しながら進む時間を持てなかった奄美であれば、時間は凝縮した形でやってきうるのであるとでも言うしかない。そしてぼくは、「大島代官記」の「序」は、薩摩の役人が書いたものであると認識を修正することで、屈服に重点を置いた奄美知識人の系譜に対する認識を緩和させなければならないと思う。

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