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2009/08/04

『おきなわ女性学事始』

 『おきなわ女性学事始』で、もっとも心を動かされ、かつモチーフが鮮明に表れるのは次の箇所だと思う。

 深海を棲み処とする人魚が、地上の人との愛を成就させるために、尾びれをひき裂き、鱗を払い、ぬめりを拭って四肢を得た。そして地上へ躍り出た。けれどその代わり、人魚は声を失う誓約を交わさなければならず、そのため真実を語ることができないまま、愛の成就もならないままに、深海の藻屑と消えてしまった。
 魚が陸にのぼるには、四肢を得てまばゆい変身を遂げなければならない。けれど、真実を語り愛を成就させるためには、決して声を失ってはならないはずである。人間と魚の境界に在る人魚姫の悲劇は、人間界の周縁に生息する不可視の人魚が可視性を得るために、あえて真実を語る声を犠牲にして、人間に変容してしまったことにある。完壁な人間になろうとした人魚は、自分の半身を棄てたのだ。

 他者の視線を内面化してしまう悲劇は、植民地主義的な抑圧構造の中で無数に生じている。王子の住む世界に憧れるあまり、王子の視線(価値観)を内面化してしまった人魚は、人魚の姿のまま王子の視線に晒される勇気を失った。
 だから「サカナ」としてのアイデンティティを放棄して、完壁な「ヒト」になろうと背伸びする。自分自身の「サカナ」の部分を忘れて、完壁な「ヒト」を演じることは、自己同一性の幻想に身をゆだねてしまうことでもある。周縁よりも中心に価値を置くことは、もう一人の自分自身を窒息させてしまうことでもある。中心に同化して、はぐれものの自分自身をみずから裏切ることになるからだ。自分自身を裏切ることは、とりもなおさず、自身の声を失うことである。
 サカナなのかヒトなのか、形も定まらず浮揚していた人魚は、だからそのままヒトとサカナの境界に漂うはかはない。うずしお逆巻く境界にたたずむほかはない。たたずみながら、人魚はあくまで人魚の声を紡ぎつづけるだけでいい。人間には「沈黙」としか思えない人魚の物語りを、語って聞かせるだけでいい。やがてその「沈黙の物語り」が、地上世界の物語群をしのぐ彪大な深海のサーガ(物語群)を形成してゆくほどに、人魚の語り部は、ひたすら語りつづければいい。

 たとえば人魚の沈黙を「未生の生」と名づければ、「おきなわ女性学」というジャンル設定によってわたしが心を砕くのは、このような「未生の生」の言語化である。歴史的にも、地理的にも、そして文化的にも、中心から遠く隔てられたことによって息づく「おきなわ女性」の、すでに無限に存在する「沈黙」を、ことばにして語ることである。

 「人魚姫」は、粗野なぼくには思いつかないメタファーだった。この本の趣旨に沿わない言い方かもしれないが、繊細で女性的な表象ではないだろうか。そして確かに切実に響いてくる。

 ぼくは、太宰治の「わたしは、鳥ではありませぬ。また、けものでもありませぬ。」(俗天使)という言葉を思い出す。あるいは、『ワン・ピース』の、トナカイでもない人間でもない存在としてのトニー・トニー・チョッパーを。

 著者は、「人形姫」としてのメタファーに至る自己形成を披歴している。

 ふり返ってみると、一九六〇~七〇年代は、「沖縄」を原日本として神話化する民俗学的な言説が大量に出まわった時代だった。しかも「祖国復帰」前の「かわいそうな沖縄」だった。少しでも沖縄出身であることを口にすると、わたしのすべてが 「古琉球」一色に塗り込められたり、わたしのことばが政治的な文脈に還元されてしまうような危うさを直感した。
 普通に生きたいという思いから、沖縄の出自をことさら触れまわらないことを学習する。沖縄というなつかしい「訛り」は、お預けになった。ところが、沖縄アイデンティティを発揚する場を回避しているうちに、わたしはわたしでなくなってしまった。橋を渡るということは、わたしにとっても住み慣れた世界を離れることであり、喪失であり、後戻りのきかない一方通行だったのである。

 沖縄もシマの一つであってみれば、沖縄から都会への出郷は、不可逆的な移動であり、後戻りのきかない変容である。それは無垢から経験へ、共同体的無意識から個の意識へ、「われわれ」から「私」へ、前近代から近代への移行となる。そして両者にはきっぱりと境界線が引かれ、二項対立的な図式でふり分けられ、しかも一方が他方に優位に立つような図式である。みんなこぞって上昇を志向した。だからその境界に踏みとどまることは、時代の流れに逆行することだった。
 しかし、近代的人間になるということは、「身体と欲望と経験をもつ我」を徹底的に管理統制し、訓練して鍛え上げ、「より上位の我」 へと上昇させていくことである。いわば「自我の階級闘争」を起動させることである。そこには、「上位の我」が「身体と欲望と経験をもつ我」を管理し統制し、果ては抹殺したいという排除の欲望がはたらいている。これは、白身の身体や欲望を物象化する構造であり、この構造は波及して他者の排除と物象化をもたらす。
 つまり、近代的自我主体は、それ自体、一種のヒエラルキーをなしていて、主体を確立することは、同時にそれまでのわたしの一部を捨て去ることである。ここにも、近代の宿命のように、後戻りのきかない橋が架けられている。

 もちろん、わたしは泣く泣く遊廓に身売りされたわけではない。むしろ家からの解放を求めて自分から積極的に橋を架けてしまったわけで、それは自業自得というものかもしれない。けれど、この不可逆性は、いったい何なのだろう? 渡ってしまうと自分が自分でなくなり、そして後戻りのできない橋とは?
 異文化と異文化をつなぐ「懸け橋」は、どこにでもあるが、それが一方通行であるような橋を架けていたのは、わたしだけなのだろうか。往来自由な橋を架けることはできないのだろうか。あるいは、向こう岸に渡ることを拒みつづけて橋の上にとどまることはできないのだろうか。

 率直な自己開示だと思う。そして、ぼくたちはぼくたちもまた、「わたしはわたしでなくなってしまった」とつぶやいたことがある者として共感する。

 著者は自分の立脚点を、こう措定している。

 もちろん、こうして論考を書いているわたし自身もその非を免れることはできない。その自覚があるからこそ、わたし自身、はたして「おきなわ女性」を研究対象にできるのかどうか、沈黙と語りのはぎまで葛藤をくり返してきた。
 しかし、かろうじて免罪を得ることができるのではと考えたのは、「おきなわ女性」を研究するということが、沖縄に生まれ育ったわたしにとっては、自分自身をも狙上にのせることを意味する、ということである。つまり、わたしの「ポジショナリティ(立脚点)は」と問われれば、「沖縄に生まれ育った研究者」と答えることができるのではないかと考えたからである。
 つまり、沖縄に生まれ育って折々にインフォーマントとして調査・研究を手伝った地元の人間として、西欧の学問によって啓蒙され西欧的な方法論を纏って、ようやく研究者として緒についた存在であるということ。しかも、主流の視点から一方的に付与されるイメージをそのまま鵜呑みにして内面化することができず、与えられた自己像に違和感を覚え、初めてマイノリティというポジションが自覚され、周縁に身を置いて、そこから対抗的に主流文化を見やる視点を形成しはじめた存在だということである。

 免罪もなにも、遠慮することなど何もないではないかと思う。それはぼくが学問的世界への配慮を不要としている場にいるからではない。「沖縄に生まれ育った研究者」という立脚点は、ある場合に特権的に見えるかもしれないが、それはそれに従って生きるしかない宿命であるからだ。その宿命としての負荷は、著者の自己開示に正直に開陳されている。

 その立脚点から、著者は、統一的なアイデンティティに収斂できない「おきなわ」の多層性を生かすほうへ展望を見出している。

 それならば、その多層性の宿命を逆手にとって、ジャンルの捉をくつがえすジャンルをつくってみてもいいのではないか。アイデンティティが多層ならば、それを容れる器も多層であっていい。証言集も写真集も、文字も歴史も、公文書も日記も、映画もニュースも、伝統芸能も現代アートも、フィクションもノンフィクションも、すべては「記憶の継承」という一大プロジェクトの中にすでに取り込まれているのだと考えれば、「おきなわ」は、ガルガンチュア(フランス作家ラプレーの長編滑稽諷刺小説の主人公。並はずれた食欲の持ち主)の食欲のように、ジャンル横断的にすべてを飲み込んでもいいのではないか。
 すでに、「おきなわ」は市場で消費されており、作者の数だけ「おきなわ」像が作品化され生産されてきたといえる。イデオロギーの対立もあるが、どれがほんとうの「おきなわ」かと、峻別にこだわる必要はない。
 それよりも、「おきなわ」は、その作者をも取り込み、さらに、それを消費した人をも取り込むという「おきなわ病」症候群を蔓延させていることに日を向けてみよう。作者と読者、舞台と客席、供給と受容、さらには利用する者と利用される者の区別を前提とする旧来のジャンルの錠には収まらなくなっていることが見えてくる。
 つまり「おきなわ」は、すでに撹乱や転覆と同義語である。だから心おきなく、伝統的なジャンルの錠をこわしてみるといい。そうして出来あがった試供品が、「民族の詩学(エスノポエティクス)」である。それを、別名を「沖縄学」と呼ぼう。

 ぼくはこれを、沖縄を過剰性として見るということだと受け止めてみる。それは、人でもないトナカイでもない「化け物」として疎外されてきたトニー・トニー・チョッパーが、「面白い」と受け止められることで生きる道を見出したように。

 沖縄に比べて、奄美は「市場で消費」されていない。でも、奄美にとっての活路も、奄美を欠如としてみるのではなく、過剰として見ることのなかにあるのは同じだ。

 これは「沖縄学」だと、著者は言うのだが、その「学」は堅牢な構えを見せていない。ここには、悩み立ち止まりためらい沈黙し、行きつ戻りつしながら言葉を出そうとする繊細なふるえがある。けれどぼくは、これこそがこの本の魅力だと思えた。


  『おきなわ女性学事始』

Okinawazyoseigaku

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コメント

<境界>を踏み越えた時には、そのかわりに何かを犠牲にしなくてはいけないものなのでしょうか。
ならば、境界などなければいいのにと思うけど、でも境界が存在することで独自のオリジナリティが育ってく。境界があることで、守られる。
その境界の先にあるものを、知りたいと願うけれど、そうすることは、何かを壊し、侵してしまうのでしょうか。
不可逆なものなんでしょうか。

お互い交流があることは、深く知りあうことは嬉しいことだけれど、それで一方だけが犠牲になるのは、大切なものが壊されるのは悲しいです。
一方で、もっともっと知りたい親しくなりたい気持ちは強いのです。

ジレンマ。

日本本体と周辺の地方や島、人と人の関係も同じ、心が痛くなります。

投稿: kemo | 2009/08/04 21:33

kemoさん

境界を越えることの配慮がお互いにあれば、相互理解は深まっていくのでしょう。そんな関係がいいですよね。

投稿: 喜山 | 2009/08/05 21:48

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