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2009/08/05

維新は終わったのだ

 お国自慢を国家自慢にしたい。それが『世界危機をチャンスに変えた幕末維新の知恵』(原口泉)の欲望だ。国家自慢というのは、薩摩が国家的活躍をしたということと、薩摩を国家とみなしたいという意味だ。

 一私藩を超えた国家的危機感に突きうごかされ、先駆的な工業立国を推進した薩摩藩主島津斉彬からはじまり、その遺志を受けて坂本龍馬など有為の人材を支えて世界進出を図った薩摩藩家老小松帯刀や、薩長藩閥の枠を超えて海運王岩崎弥太郎らを育てた明治政府の最高実力者大久保利通らの、日本経済への貢献を見直してみる必要があります。
 そして、ひた走る日本の資本主義国家化のなかで表われてきた矛盾、財政の行きづまりや殖産興業の弊害に立ちむかった財政家松方正義や農政家前田正名も注目されます。
 とくに、農商務省の高官として、すでに百年以上前から工業一辺倒の経済に警鐘を鳴らしつづけ、政界から追放されたあともポロを着て全国行脚を続けた前田正名の先見性は、今こそもっと見直されて然るべきと考えます。

 島津斉彬は「一私藩」(お国)を越えた「国家的危機感」で行動したのであり、小松帯刀がなければ坂本龍馬の活躍もなく、岩崎弥太郎を育てたのは大久保利通であり、松方正義や前田正名は現代にも通用する。要するに薩摩武門出身者の再評価である。このお国自慢は、お国自慢の枠組みを踏み破っていく。その読後感は、極度にちぐはぐであり、言ってみれば、数十センチの長さを測りたいときに、キロメートル単位のメジャーを当ててるように間尺が合わない。それはもはやお馴染みの感触だ。

 そのちぐはぐさは、薩摩武門出身者のお国自慢に次のようなモチーフが与えられることに胚胎している。

 私は先にも述べたように経済の専門家ではありませんが、幕末・維新を通じ、ピンチをチャンスに変え、日本の資本主義を立ちあげた人たちの足跡は、時代を超えて通用する、あるべき実業家の姿、モラルや倫理観といったものを示していると考えます。
 そしてそこには、今、苦境に立っている資本主義を再生するヒントや知恵が必ずや含まれているのではないかと思うのです。
 私がこの本で訴えたかったのは、まさにこの点です。

 お国自慢は、現在の社会状況の再生の役割を担わされる。それがどんなちぐはぐさを生むかといえば、

 フランスのシャンパーニュ地方のように、農産加工品を主力産業にして地域産業が成りたっているという例があります。これであれば、地域全体としての環境負荷が非常に低減することになります。
 それぞれの地域で、それぞれにもっている人材や伝統的な技術を活かし、世界経済が成りたつという理想主義の達成こそ、世代や人種、宗教や国を超えた人類の知恵なのではないでしょうか。
 いずれにしても、その変革の担い手となるのが東大やハーバード大学なのか、それよりもブータンや鹿児島やテキサスなのか、定かではありません。しかし、幕末の日本にそれを探るなら、それは薩摩であり佐賀だったといえます。

 本来であれば中心都市にある幕府がやらなければならないことを、地方都市が担っていたのです。
「薩摩が変われば世界が変わる」などというと非常に倣憶に聞こえるかもしれませんが、こうした一種の地域モデルから、金太郎飴のような同じ方式ではなく、それぞれの安定社会にもっていくことがポイントだと思うのです。
 要するに、「利己が利他につながる社会をつくっていく」ということです。このことを経営戦略の用語で「ハイシナジーな社会」といいますが、経営資源を組みあわせることによって相乗効果が生まれる、つまり、経営が成功するということです。

 こういう、まとめの言葉に特に露呈する。環境負荷の低減など、もっともらしい文脈のなかに、「世代や人種、宗教や国を超えた人類の知恵」、「ハイシナジーな社会」などのもっともらしい言葉が続くが、しかしあまりに内実が伴わず、空疎だ。語られる具体的な人物や事象と語られ方の空隙が巨大で、表現を重ねるほどに虚ろになっていく。なかで、やけに強調されて響くのは「薩摩が変われば世界が変わる」というフレーズだが、それはリアルだからではなく、妄想の強烈さが響いてくるのだ。

 脈があるといえば、「利己が利他につながる社会をつくっていく」という観点を打ち出しているところなのだが、それも、

 戦後の経営者でも、たとえばソニーの創業者井探大など、なんのために仕事をするのか、どんな報酬を求めて仕事をするかといった問いに対して、それはお金のためでも、名誉のためでも、地位のためでもなく、仕事のために仕事をすると考えていたようです。つまり、「いい仕事をすれば、またいい仕事がさせてもらえる。それが仕事の報酬としていちばんうれしい。お金や名誉はあとでついてくるものだ」というのです。
 仕事好きの技術者らしい考え方ですが、これもまさに、世のため人のためにならなければ仕事ができないという意味で、「公」が先、「私」はあとになっています。

 という、「「公」が先、「私」はあと」という後退理念に回収されて元の木阿弥となる。「「公」があと、「私」は先」というのが戦後の取り得だというのに、理念は、戦前にあっという間にさかのぼってしまう。それはきっと維新時点まで止まることができないのに違いない。

 こうした理念の後退感は、お国自慢のなかの奄美への触れ方にもよく表れる。

 もう一つ、薩摩藩の経済力に大きく貢献したものに奄美産の黒糖類があります。十八世紀のはじめに上方市場に出ますが、今まで和糖しかなかったことと、薬種・薬として珍重されたので、高級品として非常に高く評価されました。
 藩では、延享二年二七四五)、奄美に「換糖上納令」を出して、年貢を米ではなく黒糖で納めさせることにしました。さらに、安永六年二七七七)から十年間、第一次砂糖惣買入制を実施し、年貢を納めてなお余った砂糖を藩のレートで安く買いあげる直接専売制を徹底しました。天保改革の大黒柱が奄美の黒砂糖であったことは明白です。天保年間の第二次砂糖惣買入制のもと、薩摩藩の上方での黒糖売上高は十年間で二百三十五万両にも上っています。これは文政年間の総売上高を約百万両も上まわっています。
 このように、薩摩藩は天保年間に、立地と産物を非常に巧みに藩の収入源に活かし、財政改革を成功させ、格付けだけではなく、「雄藩」と呼ばれるにふさわしい大藩となっていったのです。

 奄美への直接支配と収奪は、藩の「巧み」さに回収され、あっという間に通り過ぎてしまわれる。そう、いつものように、現場を観光地化する頬かむりの視線によって。その頬かむりは、「南北戦争がなければ明治維新はなかった」と書けても、奄美の直接支配とその隠ぺいがなければ明治維新はなかったとは書けない。観光地は案内できても現場を案内できない。「本来であれば中心都市にある幕府がやらなければならないことを、地方都市が担っていたのです」などと、筋をそらしてはいけない。奄美・琉球支配を根拠に過剰な武士団の国家幻想が、端という幕府からの距離を梃になしたことと言うなら分かる。
 
 「薩摩が変われば世界が変わる」というのはある意味言い得ていて、それはしかし、薩摩から見える世界が変わるということ、もっといえば、世界が見えてくるということだ。維新の夢にまどろんでは現実はひっかけない。だが、もう知った方がいい。維新は終わったのだ。それも一世紀半近く前に。


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コメント

薩摩維新史の新作映画が来年また公開されますね。
人斬り半次郎と呼ばれた伝説がある桐野半次郎に視点を据えるみたいですが、池波正太郎の小説が下敷きではないのかな?
薩摩隼人もステレオタイプな維新薩摩像には飽きてると思うんですがどうなんでしょうか。

http://www.hanjiro-movie.com/

投稿: syomu | 2009/08/06 21:58

syomuさん

情報ありがとうございます。映画のコンセプト、読みました。この本と同工異曲です。維新の夢にいつまでもまどろんでいたいんですね、きっと。

投稿: 喜山 | 2009/08/07 17:37

ステレオタイプな維新物語によって肯定される現況を打ち破るのは、パラダイム転換だと思います。認識の打破ですよね。

まさにそのパラダイム転換の気概こそが維新当時の薩摩隼人の精神だったと思うんですが、後世の現代で維新物語はパラダイム転換を鈍化させる障害になっている気がします。
具体的に維新の精神を体現するダイナミックな人間が生まれず、まどろみ続けている鹿児島を象徴する無難なエンタメ作品にならないことを祈ります。

投稿: syomu | 2009/08/08 02:32

syomuさん

映画のコンセプトには思い出すべきものとして「情熱」とありました。ないものねだりになるかもしれませんが、近代化の「情熱」というだけでなく、近代化の本質を描いてくれたらと願います。

投稿: 喜山 | 2009/08/09 16:31

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