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2009/08/22

「シベリア抑留、手記に」

 8月13日記事(南海日日新聞)で、与論の山根さんの記事が出ていた。

 1943年、18歳で第2次与論開拓団に加わり、旧満州(現中国東北部)へ渡った。45年8月、旧ソ連軍に運行され、松の伐採など重労働に従事。シベリアの収容所で青春時代の2年間を過ごした。
 冬場は零下30度を下回る極寒の地。起床時間が迫って隣の戦友を起こすと、氷のように冷たくなっている。作業中も飢えと寒さで次々と仲間が命を落とし、死体を埋める穴も自分たちで掘った。
 野草に虫、松葉の茶。「明日はわが身かもしれない」という不安に駆られながら、食べられるものは何でも食べて命を守った。「ハラキリサムライは戦争に負けたのになぜ腹を切らなかったのか」。過酷な状況に追い打ちをかけた旧ソ連兵の言葉が今でも脳裏から離れない。

 これが書かれているのは、手記『生きて帰って来い、必ずだよ』。ぼくも読んだ。短いエッセイなのに長編のような圧倒感を味わった。去年、そのことを感想(『生きて帰って来い、必ずだよ』)に書いた。記事を読み、改めて、山根さんが語ってくれてよかったと思う。

 なんとなく記事の画像を載せたくなった。

Yamanesan1

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