« 維新は終わったのだ | トップページ | 「若者ならずとも与論の印象は鮮烈である」 »

2009/08/06

『恋するしまうた 恨みのしまうた』

 『恋するしまうた 恨みのしまうた』は、「しまうた」のルーツ探訪記だ。

 たとえば、「国頭サバクイ」は「沖縄の代表的木やり歌であり、踊りを伴う民俗芸能」で、歌詞には、「なごー山」と出てくるが、この音から歌の発祥地は、「名護」であると主張されてきたが、著者は奥間を訪れ、そうではないことを突き止める。それはこのように語られる。

「国頭サバクイ」の「なごー(なぐ)山」(あるいは「なごー山」)の所在地や、発祥地解明の手がかりを得たのは、一九七九年、伊江島の古老との対話からであった。その古老日く「以前国頭村と伊江村の老人クラブの交流会が伊江島であり、歌に出てくる『なごー山』『なぐ山』は、与那覇岳(五〇三メートル) の中ごろにあるということを聞いた」と言うのである。
 これは面白い。後日仲間数人と国頭村字典間を訪ね、「なごー山」について知っている中年女性に会った。「なごー山は、与那覇岳の中腹あたりにあります」との証言を得た。
 ここまで分かれば、与那覇岳に近づき目で確認することだ。幸いにも与那覇岳が望める地点まで車で登れるとのアドバイスを受け、くだんの女性が案内してくれることになった。
 与那覇岳は麓からおよそ八キロ、串で行ける範囲は三・八キロほどの距離。山道を登り、しばらくすると眼前に雄大な山並みが広がっている。その峰あたりが与那覇岳という。
 中腹を眺めると、樹木が繁茂している。この深山こそ、首里城の造営改築で木材を供給した「なごー山」である。

 そして、「「なごー山」は名護市の名護の山(名護岳)ではなく、与那覇番山系にあることが判明した」とするのだ。

 ルーツ探訪は、沖縄から奄美へと、琉球弧を縦断するように行われる。奄美では、「うらとみ」あるいは「むちゃ加那」の物語にも迫っている。

 物語の付随する民謡の場合、物語が先か歌が先かはよく議論されるところであり、一概に決められるものではない。なぜなら、民間に流布されている物語が、いつの間にか歌詞や曲が生まれ、歌になって広まるケースや、ある歌を説明することによって物語が誕生するケースがあるからだ。「むちゃ加那節」の場合は、物語が先にあって、それに感動した人が歌にしたように思われる。
   発生的にいえば、歌は物語に先んじると思えるが、その後の展開としては、物語から歌が生まれることもあり得るだろう。そして、そうしたケースとして、著者は、「むちゃ加那節」を捉えている。

 現在、「むちゃ加那」の物語には「うらとみ」という母の物語が付随しているが、

今日の「うらとみ」「むちゃ加那」像をもっと具体化したのは、一九三四年発行の『奄美民謡大観』」(文潮光著、潮光とは英吉のこと)である。文氏は、同著で「うらとみ」は母、「むちゃ加郡は」娘というストーリーに仕立て上げたのだ。以下、一九四九年発行の『大奄美史』(昇曙夢著)はか、多くの奄美の文献でも文氏の説に依拠して「うらとみ」「むちゃ加那」親子(母娘)像をイメージしてきた。

 として、「うらとみ」は、「むちゃ加那」が生みだしたもうひとつの物語ではないか、としている。

 著者は、沖縄島でチョンダラーの足跡を追い、与路島の秘話に胸を痛め、大島で「いまじょう小」に戦慄する。こうしたルーツ探訪は、徳之島、沖永良部島、与論島にも及んでいる。島唄はいい。それはやすやすと、奄美と沖縄の境界を越えて琉球弧をつなぐ。それはしかし島唄のよさというだけでなく、著者の視野が奄美と沖縄の境界に囚われないのびのびしたものでもあるからだろう。『恋するしまうた 恨みのしまうた』からは、そんな愉しさが伝わってくる。


『恋するしまうた 恨みのしまうた』

Koisurushimauta_2

|

« 維新は終わったのだ | トップページ | 「若者ならずとも与論の印象は鮮烈である」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『恋するしまうた 恨みのしまうた』:

« 維新は終わったのだ | トップページ | 「若者ならずとも与論の印象は鮮烈である」 »