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2009/08/26

(奄美-鹿児島)と(沖縄-日本)のパラレル構造

 『幻想の島・沖縄』では、沖縄による奄美差別の話題に続けて、宮古、八重山についても同様であることに触れて、書いている。

 過去も含めであえて大雑把に図式化すると、米国→日本→沖縄→奄美・宮古・八重山といった加害と被害の重構造があり、その中で沖縄は「日本は沖縄を差別している」と言い、日本は「沖縄だって奄美や宮古を差別しているじゃないか」と言い返す構図があります。あまり生産的な会話ではないことは確かでしょう。

 しかし、そういうなら、北が南を差別するという意味では、奄美→沖縄という流れも存在する。
 また、大久保は、基地をめぐる利害対立が沖縄の地域を分断し、日本vs沖縄という構図が、沖縄を含む日本が基地問題について、アメリカへの異議申し立てをしにくくさせている、さらに沖縄は不思議なことに親アメリカであると指摘している。

 これらを受けて、奄美として考えると、パラレルな構造があるように思えた。試みに書くと、

 奄美 - 鹿児島
 ↓
 沖縄 - アメリカ
 ↓
 日本

 この矢印は、差別というより批判の矛先とする。

 ぼくは、奄美知識人の系譜のなかでは、鹿児島批判に向かうべきことが沖縄批判となって表出する場合があるのを感じる。それが、奄美と沖縄の両者としての鹿児島への異議申し立てをさせにくくしている。このことは、場合によって、奄美の頭越しに鹿児島と沖縄が手を握る可能性を示唆する。

 同様に、大久保の考察を受けると、沖縄ではアメリカ批判に向かうべきことが日本批判となって表出する場合があり。それが、日本と沖縄の両者としてのアメリカへの異議申し立てをさせにくくにしている。このことは、場合によって、沖縄の頭越しにアメリカと日本が手を握る可能性を示唆する。

 そして、奄美を間にした、沖縄、鹿児島は二県問題であるのに対して、沖縄を間にした日本、アメリカは二国間問題である。それが、過剰に語られない奄美と過剰に語られる沖縄の舞台背景になっている。

 こんなアナロジーをするのは、沖縄-日本の問題を見ていると、ときにふと、奄美-鹿児島のことと構造が似ていると思うからだ。

 だからどうというわけではないのだが、試みに構造化してみた。

   『幻想の島・沖縄』

Gensounoshima

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