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2009/08/11

「最も不自然な境界」(「唐獅子」2)

 薩摩による琉球出兵から400年。奄美の島々、那覇、東京などで開催されるシンポジウムなどのイベントや、このタイミングで出版された上原兼善の『島津氏の琉球侵略』の特徴のひとつは戦闘の過程をできるだけ具体的に浮かび上がらせようと努めていることです。たとえばそれは、薩摩の軍勢は、奄美大島、徳之島、沖永良部島、古宇利島、沖縄島に上陸したと教えるのですが、こうした解説の大きな効用は、かつて奄美と沖縄はその命運を共にしたという史実を浮かび上がらせたことではないでしょうか。その過程の再現には、沖縄の視野から姿を消す前の最後の奄美の姿が垣間見えますが、薩摩の島伝いの進路そのものが、かつて奄美と沖縄はつながっていたことを物語るのです。

 けれど一方、その後の議論のなかでは、残念なことに奄美は再び姿を消してしまうことが多くなります。なぜなら、奄美は薩摩の直轄領として割譲されてしまうからです。特に、この節目で強調されているのは「琉球の主体性」ですが、それは1609年から1879年まで琉球王国を存続させたことに積極的な意義を見出そうとします。その文脈のなかでは、存続のための努力について云々することが多くなるので、勢い奄美は薩摩の直轄領になったことが最後の登場場面で、以後、姿を現すことが無くなってしまうのでしょう。

 しかし、「琉球の主体性」は主張に値することだと考えますが、もしそうなら、そこには、琉球王国は、もうひとつの琉球である奄美を失うことによって存続の基盤を得たという視点が生まれてもいいのではないでしょうか。薩摩の過剰な武士団の維持にとって奄美の直轄領化は殊の外重要な意味を持っており、それは琉球王国の存続を無言で支えたという側面を持ちえます。

 そしてここから言えば、400年前に出来た最も大きな傷痕は、与論島と沖縄島の間の直接支配と間接支配の境界であると言うことができます。珊瑚礁や珊瑚礁を基盤にした生活に象徴される自然と文化の流れがそこで切断されてしまったのです。それは最も不自然な境界であり、ぼくなど、できるなら与論と辺戸を何度も歩いて往復して、境界が見えなくなる程、踏み慣らしまいたいと思ってしまいます。(マーケター)



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