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2009/08/10

「奄美と沖縄をつなぐ」(「唐獅子」1)

 7月から沖縄タイムスの「唐獅子」にコラムを書いている。現物を見ていないので、実感が伴わない(苦笑)。現在、4回分まで入稿しているので、ここにも載せよう。

◇◆◇

 学生のとき沖縄を旅して、街角のおばぁの言葉が半分わかるのにびっくりしたのを覚えています。同じことは島言葉をベースにしたりんけんバンドの音楽にも感じました。また、新城和博の『おきなわキーワードコラムブック』は、身近なエピソードが多く愉快でした。

 思えば、80年代の終わりからの沖縄ポップは、ぼくにとって沖縄発見の糸口でした。もちろんぼくの生まれ島の与論からは、いつも山原(やんばる)が目の端に入っていましたし、両親や祖母の話す山原という言葉や琉球民謡への親しみから、沖縄への親近感はありましたが、それが具体的なカタチになったのはそのときが初めてだった気がします。

 けれどそれと同時に、沖縄からはこちらが視野の外にあるのにも気づかされました。沖縄の離島マップなどには辺戸岬のすぐ先の与論島は空白ですし、こちらは「同じ」「似ている」という親近感から話しかけても、沖縄の人からは「違う」「似ていない」という視線が返ってくるのでした。それは、ぼくにとって沖縄発見以上に驚きで、何とも不思議で寂しい気がしたものです。

 この「近くて遠い」感じはどこから来るのだろう。ぼくは胸のつかえのようにそう問い続けてきましたが、それはやはり辺戸岬と与論島の間に引かれた境界のなせる技なのですね。

 今年は、その境界が引かれる契機になった出来事から400年。この400年の痛みは、沖縄が日本に組み込まれた起点として、そして琉球処分の前段として語られることが多いでしょう。しかしそこは同時に、奄美が日本に本格的に組み込まれた起点でもあれば、辺戸岬と与論島の間に境界が引かれた始まりでもあったのです。そしてその境界もまた、400年の痛みのひとつではないでしょうか。

 柳田國男は、「時代で言えば三百年、もうこれ以上の隔絶は想像もできぬほどであるが」、「かつて繋(つな)がっていたものが今も皆続いている」と『海南小記』に書きましたが、ぼくからすると、400年たっても「かつて繋がっていたものが今も皆続いている」と感じられるのです。

 この、つながっている感じを沖縄の皆さんに伝えたい。その想いから、コラムのテーマを「奄美と沖縄をつなぐ」としました。(マーケター)

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コメント

 懐かしい。

  唐獅子ボタン。

    何曜日の  コラムですか?

       奄美と沖縄ですよね。
  
           負けた。
   遊び心も  いれてね。
          

       阻害では  いけません。

         ムール  元気で。

投稿: awa | 2009/08/11 06:05

awaさん

掲載は水曜とお聞きしています。

いまのところ大真面目ですが、そのうち遊び心もいれられたらな、と。アドバイスください(笑)。

投稿: 喜山 | 2009/08/12 10:02

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