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2009/08/14

「先に復帰した理由」(「唐獅子」4)

 与論島と沖縄島の間の境界は、1609年の琉球出兵を機に強いられたものだ。しかしにも関わらず、それをいつしか自らのものと見なすようになってしまった。

 その端的な例は、1953年の奄美の日本復帰だ。奄美は当初、沖縄と同時の「完全復帰」で動いていたにも関わらず、途中で奄美だけの「実質復帰」へと舵を切り、あの境界を再現させてしまった。

 ぼくはこの実質復帰はやむをえない選択だったと思うが、そのことを沖縄に向かって釈明したことは無かったのではないだろうか。しかし、隣人として理由を説明してしかるべきだろう。ぼくは復帰運動に立ち会った世代ではないが、沖縄に伝えられることは二つあると思う。

 沖縄との「完全復帰」から奄美だけの「実質復帰」への路線変更の際、奄美は「奄美は大和ではない」と規定されていたのを逆転させて、「奄美は大和である」と規定し直している。奄美の知識人は「大和である」とすることで沖縄を差別化し、日本復帰の根拠とした。それは、「日本人になる」ことが、奄美の困難からの脱出口とみなされたからであり、「大和」であることはそれだけ日本人としての根拠が確かになるからだった。

 しかし、「奄美は大和である」という規定は、「大和人(やまとぅんちゅ)」という言葉の生きる奄美の素朴な自己規定に照らしても、欺瞞である。自分に対して嘘をついたのだ。

 ただ、この自己欺瞞にやむなさがあるのは、奄美は「大和ではない」というだけでなく「琉球ではない」とも規定されていたことだ。いわば二重に疎外されていたので、「日本人になる」ことにしゃにむに飛びついてしまった。その分、沖縄より余裕が無かったのである。

 そしてもう一つ、奄美は精神的にだけでなく経済的にも疲弊していた。奄美では明治維新の資金を用意するほど激しい黒糖収奪が行われていた。しかもその疲弊は近代以降も解決されることなく、戦後を迎えていた。奄美の川畑豊忠は、民族自決など言うさわぎじゃなく、「食べること、着ること」が「復帰の願い」だったと言うのだが、ぼくはこれこそが実相だったと思う。絶対的な貧困から脱したかったのだ。

 隣人の復帰の事情、分かってもらえますか?  (マーケター)


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» 奄美から日本人を考える [Keynotes]
奄美について読む。奄美について勉強するというより、日本を別の側面から見直すと言ったかんじだ。 [続きを読む]

受信: 2009/08/16 09:59

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